BPOの大義はあくまで言論・表現の自由を守ること 元BPO委員「コンプライアンスにもほどがある」

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番組収録の様子
昨今の放送におけるコンプライアンスのあり方について語る(写真:sasaki106/PIXTA)

放送界の自律機関であるBPO(放送倫理・番組向上機構)は、放送のコンプライアンスを考えるうえで、どのような存在なのか。「BPOの大義はあくまで言論・表現の自由を守ることにあり、より問われるべきは放送人の職業倫理であり、社会的な『常識(コモン・センス)』である」と筆者は定義づける。

BPOは裁判所ではない

BPOでの経験から、昨今の放送におけるコンプライアンスのあり方をどのように考えているかを書いてほしいというのが編集部からの依頼であった。

『GALAC』2024年9月号の特集は「放送のコンプライアンス考」。本記事は同特集からの転載です(上の雑誌表紙画像をクリックするとブックウォーカーのページにジャンプします)

BPO放送倫理検証委員会(以下「倫理検証委員会」)委員の6年間に感じたことも書くが、これはBPOや委員のコンセンサスなどではなく、全体を通してあくまでも個人的な意見であることを最初に明記しておく。

さて、「BPOの議論で最も重視しているコンプライアンスの基準は、言論・表現の自由の尊重だ」と言うと、放送関係者から「ウソだろ」とツッコミが来そうだ。だが、事実である。

BPOは鵜の目鷹の目で放送局の粗探しをしているとのイメージを持たれているかもしれないが、権限の発動はむしろ抑制的である。倫理検証委員会では、意見書がまったく出されていない年もあるくらいだ。誤った内容を放送しても、それが重大な誤りではなく、番組内ですぐに訂正されていれば審議しないこともある。

倫理検証委員会であれば、審議されるのは、その誤りが放送倫理の「根幹に関わる」と予見される場合だけである。そして審議の結果、意見書に「放送倫理違反がある」と書いていても、「再発防止に取り組んでほしい」と結んでいるはずだ。

BPOの英語名にあるように、BPOはあくまで「番組『改善』(Program Improvement)」を促す機構なのである。

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