日本で「職場での傷つき」が軽視されている大問題 できる人は「機嫌がいい」「怒らない」だろうけど
「職場で傷つく」ということは、おそらく十中八九起きていることなのに、意図的に口外されない、なきものとされる……これはどういうことなのか?
もしかして、
「職場で傷ついた」と思わせないしかけがあったのではないか?
「職場で傷ついた」なんて言おうにもその口は塞がれてきたのではないか?
そんな問いが、にわかにわき上がってくるのです。
「ハラスメント案件」で誤魔化されている?
がぜん、「傷つき」×「職場」にそそられた私は、新聞社の記事データベースで「仕事」や「職場」と「傷つく(傷つき)」という言葉の組み合わせがどのくらいあるのか検索してみました。
すると、ある文脈に偏在していることに気づきました――「ハラスメント」や「メンタル」という文脈です。これはますます次のような問いへと誘います。
・本来当たり前に存在している「職場での傷つき」を、現場でなかったことにする、見えないものとしているのではないか? そのために巧みな仕組みがあるとしたらいったい何か?
・「職場の傷つき」という元々ありふれたことに、「ハラスメント」や「メンタル不調者(ときにメンヘラなどという品のない言葉にもなる)」というラベルを貼ることで、自分たちとは違う、ごく一部の人たちに起きているかのような、問題の個人化・矮小化が進んでいないか?
・「組織変革」「心理的安全性」「人的資本経営」など耳に心地のよい「新しい指針」が示されるほどに、実は身近な「職場での傷つき」が置き去りにされ、タブー案件になっているのではないか。新しいそれっぽい概念が広まれば広まるほど、中身があいまいになる印象が拭えないが、「働く」という経験は皆にとってよりよいものになっていくのだろうか?
誤解なきようにお伝えしたいのは、ある条件下では「ハラスメント」だとして評価や処遇を問われたり、また、傷ついた側の傷の深さ次第ではときに「メンタル不調」として精神医学的な加療がなされることはもちろん大切なことです。
しかし他方で、ある種、極端なところに行くまで、日常的な個人のもやもや(悲しみや戸惑い)はなきものとされてしかるべき、というのも違うように思います。正常か異常か、できる人かできない人か、のような乱暴な二元論ではなく、素朴な疑問なのです。
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