日本の資源外交は、ほぼ民間主導だった 石油を持たない国の苦難と挫折の外交史
民間石油会社の海外進出を、政府がしかりと支援できなかったのが日本資源外交の失敗とよく教訓として語られるが、本書ではその象徴的な事件をいくつかとりあげている。1941年、時の外相 松岡洋右が、ロシア側の口車にまんまと乗せられ、久原鉱業所など日本企業が保有するロシア北樺太油田の権益をロシアへ移譲してしまうという事件や、太平洋戦争開戦直前に行われた、オランダ領東インド(現在のインドネシア)からの石油調達交渉に、石油や外交の知識も経験もない時の商工大臣 小林一三を特使として派遣させ、あげくの果てには小林一三は交渉を放り出して帰国してしまうという事件など、もしもあの時もう少し交渉を粘っていればと、歴史の「もしも」を考えこんでしまう内容が満載だ。
不眠不休で作業にあたった人々
通りいっぺんの戦史では決して語られることのない逸話も満載である。日本軍の兵站を支えた石油部隊の話は興味深い。日本が進軍して東南アジアの油田や製油所を占領しても、それらはことごとく破壊された後であり、すぐに操業できるような状態ではなかった。一方で、日本軍には石油を専門とする部隊は存在しない。そこで白羽の矢がたったのが、民間石油会社出身者たち。民間企業で働く40〜50代の年配者400名による特殊部隊が編成され、次々と現場へと送り込まれた。彼らの不眠不休での設備の消火・復旧・再稼働作業により、日本は次々と油田を復旧させ、欧米諸国を驚かせている。
戦後、この「おっさん」部隊で生き残った人たちが、日本復興の重要な原動力として活躍することになっていく。日本最初のエンジニアリング会社「千代田化工建設」を創設したり、日本による独自の開発で日の丸油田といわれた中東カフジ油田の操業責任者になったりと、大活躍だったよだ。
この日の丸油田の開発物語は本書の白眉である。一時、日本の原油輸入量の約13%をまかなった巨大油田誕生のいきさつを読むと、日本の高度成長を石油で支えたビジネスマンたちのアツき思いがヒシヒシと伝わってくる。
いまだ、アメリカと中国に次いで石油消費量で世界第三位の一大消費国である日本。しかもそのほとんどを輸入に依存している国である。本書のように、日本近現代史を石油を持たない国の試行錯誤として見つめ直すのは興味深い。夏のドライブシーズン、先人たちの失敗と成功の歴史を振り返ってみるのも悪くない。
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