真面目な人ほど「就活」で損する演技社会の「茶番」 会社が求める演技をできる人が評価される現実
舟津:そうですね。それを「配慮」と呼んで、「私たちはちゃんとわかっている、この人のためにやっていますよ」と言う。「ADHDだと社会生活が困難だから配慮しよう」みたいな傾向すら生まれていますけど、特別な配慮がなくとも暮らせる人もたくさんいます。それこそグラデーションで、投薬や治療が必要な人もいる一方で、軽度だったら、分け隔てなくても馴染めるはず。それを、健常とADHDとではっきり分断させてしまう。
結局、「演技」できずに本音が出てしまう
鳥羽:怖いのは、配慮してるつもりでも、ふと本音が出るときがあることです。例えば、車椅子の方が乗車の際に駅員の方に手伝ってもらったときに、SNSで「こういうのが足りなかった」と言っただけで、炎上して抹殺されるぐらい叩かれるようなことが起こる。このときに健常者の醜悪な本音が出る。つまりそれは「こっちは配慮してやっているのに」という上から目線の言い分です。そんな本音を隠した人たちがニコニコしながら「配慮」してると思うと、とても気持ち悪いわけです。
舟津:演技の要求が強すぎる社会の怖さは、結局みんな演技しきれなくなることです。我慢できなくなって、本音をもろに出しちゃう。私はそこにすごく違和感があります。最後は本音を出すくせに、演技して、演技させる。あんなに演技に必死だったのに、そこはモロに出すんだっていう。若者もきっと、そのギャップの怖さは感じていると思います。
鳥羽:いわゆる弱者叩きなんかまさに典型で。結局もともとのヒエラルキーを維持したまま、今まで「ふり」をしていた人たちがいじめる構図が再現される。
舟津:男子学生が中性的になっているのも、その一例かなと。いまどきの男子学生は、メイクをしたり中性的な見た目の方が増えています。K-POPの影響も大きそうですけど、性の動物性、男性性を「ふり」で消している。でもそういう見た目の男性性を消した学生が、飲み会とかで後輩の女の子に対して、セクハラに類することを平気でやるんですよ。表向きは男性性を消している人たちが、実際にはそういう行動をとれてしまう。
鳥羽:すべての男子学生にそうだとはまったく思いませんが、そういう学生がいるのはよくわかります。
舟津:もちろん全員ではなく、一部の話です。でも、そのギャップにおののきました。結局のところ、若者が持っている動物性は時代と共に消えたわけではなくて、演技して見ないことにしただけなんだなと。