真面目な人ほど「就活」で損する演技社会の「茶番」 会社が求める演技をできる人が評価される現実
鳥羽:「ノリが悪いな」って思われてしまう。友達同士だけじゃなくて社会全体からノリが悪いって言われる感じになっていますよね。
舟津:たしかに、ノリなんですよね。ノリに付き合わないとノリが悪い。どんどん集団主義が強まって、一様になることを求められている気がします。これだけ多様性、多様性、と叫ばれていますが、それも多様性を尊重する演技をしてくれよ、という意味にすぎない。
鳥羽:そうなんですよ。「多様性というノリにのってくれ」ですよね。そういうことを言うと嫌な顔されるけど(笑)。「せっかく演技しているのに」って。それでうまくいってるっ「ぽい」じゃんと。
「演技ができない=子ども」とされてしまう
舟津:高校くらいまでだと、運動ができない、勉強ができない、恋愛ができないといったことにコンプレックスを持つのは、ある程度伝統的な悩みですよね。そして現代では、演技ができないってコンプレックスが新たに加わっている。
演技は社会の潤滑油でもあって、必要な機能です。ただ集団のノリで演技を強要して、演技ができないから集団からこぼれるっていうのは何かがおかしい。でも現実的に今、大学の中の友達付き合いでも就活でも、ノリを演技することが求められるんですよね。
鳥羽:そうなんですよね。「サイコパス」という言葉が出てきた背景にも、それがあると思います。ノリが悪い人をおかしな人扱いするための便利な言葉として使われてしまっている。
舟津:中身のない言葉、唯言としても「サイコパス」や「何とか障害」が多用されていますね。ノレない人は「何かの病気だから」と。
鳥羽:大学のサークルとかは特にそこがはっきり出るところですよね。ノリがいい=社会化、大人化とされる。サイコパス的に自分の欲望にこだわるのは「中2だ」とバカにされる。
教室で子どもたちを見ていると、頑張ってノッていこうという動きが高校生になると段々先鋭化してくる。中学校まではまあ好きにやっている子が多いのですが、高校入学あたりから社会化の方向に一気に舵を切る子は多いです。小6から高3までという長い時間軸で子どもたちの変化を見ているので、どうしてもそういうダイナミズムがくっきりと見えるときがあります。