ネタニヤフ政権「イスラエル史上、最も右寄り」の訳 イスラエルの選挙制度に問題がある
『週刊文春』で対談したイスラム学の専門家・飯塚正人氏によれば、イスラエルの選挙制度に問題があるといいます。「一院制のイスラエルが完全比例代表制を変えなければ、問題は解決しない」というのです。
イスラエルは世界各地から出身地や宗教に対する立場の違う人が集まっていますから、完全比例代表制をとると、小さな政党が乱立します。20%ほどアラブ系の住民もいて、アラブ系の政党も議席を持っています。完全比例代表制はとても民主的なのですが、結果的に少数の意見が反映されるため、極右も議席を持つのです。
一院制の議会の定数は120で、政権樹立に必要なのは過半数。単独で取れる政党は存在しません。ネタニヤフが率いる「リクード」は第1党ですが32議席ですから、単独では組閣できず、大きく躍進した極右政党「宗教シオニズム」などと連立を組みました。重要閣僚にも起用しています。
その結果、イスラエルの極右閣僚は、イスラム教の聖地である神殿の丘にある「アルアクサ・モスク」を訪れ、イスラム教徒を挑発するなど、パレスチナに対するさまざまな嫌がらせをしています。これにパレスチナ人が反発しているのです。
極右のユダヤ人の中にはヨルダン川西岸地区のパレスチナ自治区にオスロ合意に反して入植地を作って住み着く人たちがでています。周りのパレスチナ人が反発すると、入植地のユダヤ人たちは周囲のパレスチナ人の住宅を襲撃したり、パレスチナ人を射殺したりしていますが、イスラエルの警察も軍も黙認しているのです。
イスラエル史上、「最も右寄り」といわれる新ネタニヤフ政権の誕生で、パレスチナの我慢も限界になったのではないかというわけです。
選挙の結果で、たとえば以前はパレスチナとの和平を推進する労働党など、リベラルな穏健派が政権に入ると、「パレスチナと共存していこう」という動きになっていました。イスラエルにも和平派はいるのです。
2005年にイスラエルがガザ地区を放棄したときは、入植していたユダヤ人をイスラエル政府が追い出しました。パレスチナとイスラエルの2国共存を考えると、ヨルダン川西岸地区に入植しているユダヤ人をどうするかが問題でしょう。
ネタニヤフによるネタニヤフのための改革
ネタニヤフは、汚職裁判を抱えたままで首相に返り咲きとなりました。ネタニヤフ連立政権が最も力を入れたのが、司法制度改革です。
ネタニヤフは、最高裁判所が有罪判決を出しても、議会がそれをひっくり返すことができる法律を成立させようとしました。
この改革は、ネタニヤフ自身が「有罪判決を逃れるための改革」と見られ、35万人の市民の抗議デモが起きました。イスラエルが民主主義の国ではなくなるのではないかと、イスラエル国内だけでなく、欧米諸国からも批判が相次ぎました。
しかしハマスによるテロによって、イスラエル国内のムードは一変、ネタニヤフ首相は野党も加わる「戦時内閣」を発足させ(加わらない野党も存在するが)、国民の意識はハマスに対する報復に集中し、政権批判から目をそらされてしまいました。
ネタニヤフ首相は、2023年10月7日のハマスの奇襲攻撃を察知できず、1200人もの市民の犠牲を出した責任を問われています。ハマスとの戦闘が終われば辞任に追い込まれるのは必至でしょう。
ネタニヤフにしてみれば、戦争が続くほど自分は首相を続けられる。停戦合意を拒否する理由が、ここにあるのかもしれません。
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