仏マクロンの決断は第3次世界大戦を招きうるか 6月30日にフランス総選挙、ロシア派兵は実現するか
フランスといえば、フランス革命以来、立法議会と行政権力(首相や大統領)が対立してきた長い歴史がある。この対立の中で議会を強くするか、行政権力を強くするかで憲法は変わってきた。
1958年から始まる現在の第五共和制(1958年~現在)は、第四共和政(1946~1958年)の行政権力を強化することで始まった。
それによって生まれたドゴール政権(1959~1969年)は、独裁色を強め、1968年に学生と市民による5月革命事件が起こる。1969年4月、ドゴール大統領は国民投票によって憲法改正を問い、結局敗北し辞任することになった。
またシラク大統領(1932~2019年、大統領在任期間は1995~2007年)が、EU憲法批准を国民投票にかけて、失敗した例もある。
マクロンは「ミニ・ナポレオン」か
もちろん、1936~1938年の人民戦線内閣のレオン・ブルム(1872~1950年)のように反ナチズム、反ファシズムを掲げ勝利した例もある。いすれにしろ、マクロンは先達の例を気にしながらことを進めなければならないはずだ。
何といっても思い出されるのが、ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世、1808~1873年)の場合だ。マクロンは、現代版ナポレオンともいえる。マクロンもそれを意識しているはずだ。
すでに大統領を2期務めているマクロンにとって3期目はない。彼の気持ちは、1期しか認められていなかったルイ・ナポレオンの気持ちに重なるともいえる。
ルイ・ナポレオンの伯父、大ナポレオンであるナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世、1769~1821年)は1799年11月9日、革命暦ブリュメールの18日、執行権を独り占めにすべくクーデターを起した。
クーデターが成功した後、やがて第一帝政(1804~1815年)を施行し皇帝に上りつめる。議会や憲法を踏みにじって、独裁権力を獲得したのだ。ナポレオン神話の始まりである。
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