「いつかはわかり合えると思った」亡き妻への後悔 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・葵⑥

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経文を読みつつ、「法界三昧普賢大士(ほうかいざんまいふげんだいじ)」と低く唱えている光君の姿は優美で気品に満ち、修行を積んだ法師よりも尊く見える。生まれたばかりの御子を見ても、「この子がいなければ何によって故人を偲(しの)ぶことができよう」といっそう涙があふれてくるが、せめて忘れ形見として御子を残していってくれたのだと自分の心をなぐさめる。

母宮は悲嘆に暮れて、臥せったまま起き上がることができず、命まで危ないように見えるので、左大臣家の人々はまた騒ぎ出し、祈禱などをさせる。

はかなく日は過ぎていき、七日ごとの法事の準備などをするのだが、こんなことになろうとは思っていなかったので、左大臣の悲しみはただ増すばかりである。取り柄のないつまらない子どもでも、亡くなれば親はどれほど悲しむだろう。葵の上に至ってはその比ではないのも致し方ないことである。葵の上のほかに姫君がいないことすらもの足りなく思っていたのに、今は、たいせつに袖の上に捧(ささ)げ持っていた玉が砕けた、などというよりもっと深い嘆きようである。

たまらない悲しみに襲われる

光君は、二条院にほんの少し帰ることもせず、心の底から悲しみに打ちひしがれ、仏前の行いを几帳面(きちょうめん)に続けて日を過ごしている。それまで通っていたあちらこちらの人々へは、手紙だけ送っていた。

あの御息所は、斎宮の姫君が宮中で潔斎(けっさい)の場にあてられた左衛門府(さえもんのつかさ)に入ってしまったので、さらに厳重な潔斎であるのを理由に互いに手紙も送っていない。つらいものだと身に染みた世の中も、今は一切合切が厭わしくなってしまい、絆(ほだし)となる子さえ生まれていなかったら、念願の出家の生活に入ってしまうのにと光君は思うのだった。けれどそう思うやいなや、西の対(たい)の紫(むらさき)の姫君の、さみしく暮らす様子が思い浮かぶ。

夜は、宿直(とのい)の女房たちがそばに控えてはいるけれど、御帳の中の独り寝がさみしくて、「時も時、このさみしい秋に逝ってしまうとは」と亡き人恋しさに幾度も目覚めてしまう。声のいい僧ばかりを選んでそばに仕えさせ、彼らが念仏を唱えている明け方など、たまらない悲しみに襲われる。

晩秋の、哀愁を帯びた風の音が身に染みると思いつつ、慣れない独り寝で眠れず、夜を明かしてしまった時のことである。夜がほのぼのと明ける頃、霧の立ちこめる庭の、花の咲きはじめた菊の枝に、濃い青鈍(あおにび)の紙に書かれた手紙を結びつけたのを、だれか使いの者がそっと置いて立ち去った。ずいぶん気の利いたことをするものだと光君が手紙を見ると、御息所の筆跡である。

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