日テレ・小学館の「調査報告書」に釈然としない理由 「セクシー田中さん」問題はどこに向かうのか
なかでもポイントは、調査報告書の大半が割かれた「第3」の事実関係であり、さらに重要なのは「第4」の分析・考察。調査チームが「何が原因だったのか」をつづったところであり、長い調査報告書の“結論”に近いところです。
日本テレビの「第4 本件の分析・検証」には、総論として、「原作者と制作サイドとの制作進行方法等に関する認識の齟齬や、ミスコミュニケーションの存在がうかがわれた」と書かれていました。そして、これらを契機に原作者の制作サイドに対する不信感が高まり、第9・10話の脚本制作、脚本家名のクレジットなどの問題点につながったこと。その結果、脚本家と原作者のSNS投稿が行われ、ネット上で賛否両論の意見が飛び交う事態に至り、悲しい結果につながったと分析しています。
この“認識の齟齬”と“ミスコミュニケーション”は事態の原因として小学館も挙げているところですが、第三者目線で見たら「言った言わない」レベルのような話。日本テレビと小学館の両スタッフが、ともに「この程度の伝え方でわかってくれるだろう」「これまで通り理解してくれているはず」という自分目線での甘さがうかがえます。
両社に限らずテレビ局と出版社によるドラマ制作は昭和時代から長年続いている商習慣であり、だからこそ「この程度の伝え方」「これまで通り」で済んできた歴史がありました。しかし、「令和の時代に対応したものになっているか」「当時からの問題点は改善されているか」と言えば、あやしいところがあるのです。
出版社にとってドラマ化は今も重要
その1つがドラマ制作サイドによる原作の取り扱い。基本的に「原作者の意向を優先させよう」と思いつつも、「視聴率獲得とスポンサーの理解」「時間・人員・予算の制約」などを理由に、「ドラマ制作サイドにとって都合のいい解釈で進めてしまう」というケースがしばしば見られます。
実際、調査報告書の「リテイク(撮り直し)の発生」という記述にそれが表れていました。
去年10月、原作者が小学館を通してあるシーンの問い合わせしたところ、撮影は5日後の予定だったにもかかわらず日本テレビ側のスタッフは「すでに撮影済み」と嘘の回答。嘘をついた理由は、「出演者とスタッフが2カ月かけて入念に準備を重ねてきたため、内容の変更は撮影現場に多大な迷惑がかかると思い、とっさに事実と異なる回答をしてしまった」。ところが、のちに原作者がこの事実を知り、不信感を深めてしまったのです。
では、なぜ出版社はそんなドラマ制作サイドの姿勢について厳しく指摘しないのか。なぜ原作者や原作をもっと守ろうとしないのか。
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