それでもなお、いや、それだからこそ、私たちは代表選手の姿勢や言葉によって感動し、元気づけられるのかもしれない--と、「多様性」を意識しつつも、「普通」の感覚を想定しながら書いてみた。
前提を省略した議論 その有効性と危険性
対話とは「多様性」を前提としたコミュニケーションである。だから対話に「普通」はない。「普通はこうだ」と主張したところで、その「普通」は自分にとっての「普通」でしかないのだ。
とはいえ、これは対話的発想を突き詰めて表現したもの。現実のコミュニケーションにおいては、ある程度の「普通」を想定して進めないと、あまりにも効率が悪い。
たとえば、「彼も人間なんだから、ミスだってするさ」と言うとき、「人間とはミスをするものだ」という前提が省略されている。その程度のことは「普通」にわかるだろうから、いちいち言わないのだ。ただ、「彼が人間であることと、ミスをしたことに、何の関係があるのだ?」という質問の可能性もつねに想定するのが、対話的発想である。
このように、「普通」はわかるであろう前提を省略して主張することを、「エンテュメーマ(説得推論。省略三段論法ともいう)」という。古典的な修辞技法である。
この技法は相手を説得するときに有効である。自分が省略した部分を、相手が無意識のうちに「普通」の感覚で補うことになるので、自分と相手の協働作業が自然に成り立ってしまうからだ。
これは米国のニクソン大統領が得意とする技法であった。
当時、ベトナム戦争に対する反戦運動が高まる中、ニクソン大統領は演説において「自由と生命を守るために、戦争を継続しなければならない」と、国民を説得した。
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