「95年目の新勢力」が作る1900馬力のハイパーカー ピニンファリーナ「バッティスタ」が日本上陸
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世界中のクルマをデザインしてきたイタリアのカロッツェリア・ピニンファリーナが、新業態としてアウトモービリ・ピニンファリーナ(Automobili Pininfarina)を設立。自動車メーカーとして、新たなスタートを切った。
そして、第1弾モデルが、1900馬力もの高出力をうたう電動ハイパーGT「バッティスタ」だ。
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このクルマは、予想をはるかに超えていた。「ロケットに車輪をつけたのか?」と思うような凄まじい加速を体験させてくれたのだ。
いったいピニンファリーナは、どんな思惑でクルマづくりを始めたのだろうか。2024年5月に日本で行われた発表会と試乗会のタイミングで、背景にある思いをたずねると、意外な答えが返ってきた。
ピニンファリーナという老舗
バッティスタという車名は、ピニンファリーナの創業者、バッティスタ・ファリーナからの命名だ。
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バッティスタは1930年に自動車メーカーのために車体をデザインし、製作もするカロッツェリアを創業した張本人で、ニックネームが“ピニン”だったことから、社名を当初は「ピニン・ファリーナ」に。のちに一族は、名字を含めて、「ピニンファリーナ」の一語に変更したのだった。
大河ドラマなみの壮大な物語にならないよう、クルマのバッティスタが実現にこぎつけるまでの流れを、手短に説明しよう。
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