悪意ゼロの「老害」と上手につきあう2つのコツ お互いに歩み寄れる「妥協点」は必ずあるはず
これに対しOさんの世代は、仕事も趣味も遊びも、上の世代から教えてもらい、下の世代に伝えていくのがあたりまえという価値観のなか、人生を送ってきました。それゆえに、同じ組織やコミュニティにいる若者に対しては、「自分のほうがよく知っているから、教えてあげる義務がある」と自然に思っています。
この感覚の違いが大きな齟齬を生み、両者の間に「壁」をつくってしまうのです。そしてこの構図は、とても面倒な状況をまねくことになります。
たとえ一方的であっても、年長者から教えられた若者は、その行為をないがしろにできないため、その場しのぎの社交辞令で頷いたり、感謝の念を示したりします。すると教えた側は、これを成功体験ととらえて調子に乗り、勢いを増してまた同じことをくり返すのです。
その結果、高齢者は善意が実ったと(勘違いして)満足する一方で、若者は彼らを「老害」と呼ぶシーンが増えるという、なんとも残念すぎる循環が生まれてしまいます。
「自分たちの常識=若者の常識」は成立しない
自分はOさんタイプかもしれない……。そう思った人は、若者と自分たちの世代との意識の違い、常識や社会構造そのものの変化に目を向けるようにしましょう。
今の若い人たちは、個性を重視し、ステレオタイプな手法や思考を、歓迎しない傾向にあります。誰もがみな、年長者から何かを学び取りたいと思っているとは限りませんし、そもそも学ぶ必要がないかもしれません。もしかしたら、持っている知識はあなたより上回っている可能性もあります。
会社における仕事もそうです。昔はがんばれば給料が上がり、やりがいのある仕事を与えられ、上司に気に入られれば出世しやすい――そんな構造でしたし、それを目指している人たちばかりでした。
ところが、今はがんばっても、上司の話を聞いても、給料が大きく上がるわけではないので、そもそも出世を望まなかったり、最初からあきらめたりしている若者が大半を占めるようになりました。
だから、たとえ上司が部下のことを思っていたとしても、過剰に指導すると煙たがられてしまうのです。
「飲みニケーションが大事」
「一対一のほうが腹を割って話せる」
これも通用しません。
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