そんな道隆が病床に伏して、いよいよ亡くなろうとしているときのこと。周囲の人々が道隆の体を浄土のある西のほうへと向かわせては「念仏をお唱えなさいませ」と勧めたときに、道隆はこう言ったという。
「済時、朝光なども極楽に行くだろうか」
藤原済時や藤原朝光は、道隆の飲み仲間だ。3人で車中にいるときに、飲みまくって酩酊すると、簾を上げて冠を脱いで、髻を人前にさらすなど、バカ騒ぎをしたこともあったらしい。
飲み仲間を思いながら43歳で他界した
いよいよ人生の最期というときに思い出すのだから、道隆にとっては、気心知れたメンバーでの飲みの場が、それだけ楽しかったのだろう。酒量が多かったのは、父から摂政・関白を引き継いだ重圧もあったのかもしれない。
長徳元(995)年4月10日、道隆は43年の生涯に幕を閉じる。道隆が政権を握っていたのは、約5年間と短かったが、後を継いだ道兼にいたっては、わずか数日で病死している。
人の命はいつ途絶えるかわからないものだ――。道長はそう実感しながら、道隆の息子・伊周と、熾烈な後継者争いを繰り広げることになる。
【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
繁田信一『殴り合う貴族たち』(柏書房)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
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