戦後日本のインテリがグローバル化に逃げた理由 「ラテン語」と無関係な日本語の優位という逆説

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:それまでは、ほとんどの学問的な書物がラテン語で書かれていたから、ラテン語がわからなければ学ぶことさえ困難でした。でも宗教改革後は、俗語で書かれた書物が急増しました。最近の私の論文でも触れましたが、ドイツのビンツェルという経済史学者も、私とほぼ同様の見方で、プロテスタントの国々は、庶民が能力を発揮しやすい環境が整えられたことで、経済成長が著しく伸びたのではないかと推測しています。

なぜなのかというと、宗教改革で俗語での出版物が爆発的に増えたためです。これが神学だけでなくさまざまな分野で起こり、高等教育でも俗語が使われるようになりました。

中世には社会参加できなかった一般庶民が、自分たちの日常の言語で学び、能力を磨き、発揮しやすくなったわけです。これが社会の活力を増し、経済成長につながり、今日私たちが知る近代社会が形成されたのだと言えるのではないでしょうか。

庶民が能力を磨いて発揮できる空間の減少

中野:だから、土着的・個別的なものからだんだんユニバーサルなものに進化するというグローバリゼーションのストーリーはやはり間違っていて、言論、言説、思想の世界だけでいうと、前近代のほうがユニバーサルで、今のインテリたちはそっちに戻りたがっている。

佐藤 健志(さとう けんじ)/評論家・作家。1966年、東京都生まれ。東京大学教養学部卒業。1990年代以来、多角的な視点に基づく独自の評論活動を展開。『感染の令和』(KKベストセラーズ)、『平和主義は貧困への道』(同)、『新訳 フランス革命の省察』(PHP研究所)をはじめ、著書・訳書多数。さらに2019年より、経営科学出版でオンライン講座を配信。これまでに『痛快! 戦後ニッポンの正体』全3巻、『佐藤健志のニッポン崩壊の研究』全3巻、『佐藤健志の2025ニッポン終焉 新自由主義と主権喪失からの脱却』全3巻が制作されている(写真:佐藤健志) 

佐藤:前近代の世界で普遍性が重視され、土着性や個別性が抑圧されていたからといって、近代が普遍性を追求していないことにはなりません。「土着性・個別性の開花」のほうが、18世紀末から20世紀後半あたりにかけて生じた一時的な現象にすぎないとしたらどうするか。この時期には産業化も進んだものの、そうなるとどうしても、より大きな市場がほしくなる。しかも生活水準の向上が持つ魅力に、普遍的なものがあるのも否定できない。となると「近代は一時的に個別性重視の時期をもたらしたが、結局は普遍性を追求する方向に進む」ことになり、グローバリズムの物語が間違っているとは言えなくなる。

中野:それで、その個別主義が一時成立していた時代には経済成長したけれど、個別主義が持続できなくなれば、経済成長もできなくなったということですね。

佐藤:個別性に基づく成長のほうが「ヒストリカル・ブリップ」(歴史上、短期間のみ成立する現象)かもしれないのですよ。150年も続けばテンプレのように思えてきますが、歴史的な現象に関する持続性の有無を、人間の寿命を基準に計るのは間違いでしょう。

:つまり、ユニバーサルリズム、今の新自由主義的なグローバル化を追求していくと、それまでの土着的・個別的なものはどんどん没落してしまう。大学の英語化がわかりやすいですが、庶民が能力を磨いて発揮できる空間がどんどんなくなっていっちゃうんですね。私も最近、英語で授業しろとか言われて、能力を活かすのに四苦八苦しておりますが……(笑)。そして、英語圏でも同じようなことが起きている。

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