住民による懸命の復旧努力で明かりが灯り始めた被災地、将来を見据えた住宅政策が課題に
宮城県多賀城市内に住む佐藤司さん(73)宅も、津波で大きな被害を受けた。仙台塩釜港から押し寄せてきた海水が家の中に入り込み、冷蔵庫や洗濯機、給湯器、暖房器具、テレビなど1階にあったすべての電気製品が使用不能になった。家の内壁も水を吸ってめくれ上がり、大規模な補修工事が必要になった。
佐藤さんも被害の大きさに愕然としたが、「そのままにはしておけない」とすぐに気を取り直した。被害のなかった2階で寝泊まりしつつ、電気も復旧していない3月20日ごろから自宅の片づけを開始。朝6時から日没まで復旧作業を続けた。
■指で指し示す高さまで海水が押し寄せた(佐藤司さん宅)(左)、断熱材も取り替えが必要になる(右)
佐藤さんにとっても、復旧作業はヘドロとの格闘だった。近隣の川に出向いてはバケツで水をくみ、20リットルのポリタンクに移し替えて自宅に運んだ。そして床掃除やトイレの水として使った。
心臓病と糖尿病、尿路結石の持病がある佐藤さんにとって、復旧作業は過酷だった。水くみ作業でぎっくり腰になり、一時はコルセットを付けた。震災後にできた口内炎は一向に治らなかった。
松島町のホテルに行くまで、震災後1カ月にわたって、風呂には一度も入ることができなかった。その後、多賀城駅前に設けられた自衛隊の仮設浴場を数度利用したものの、自宅で入浴できるようになったのは、新しい給湯器が設置された6月15日のことだった。