会社人生で知っておくべき「人間の本質」 中国古典に答えがあった!

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また、「兢業」とは、恐れ戒めて慎むさま、「瀟洒」とは、さっぱりしてこだわらないことです。

自分を磨くためには、まず先人の教えに学ぶ必要があります。それをまとめているのが、中国古典です。ですから、それに学ぶことが自分を磨く近道だということになります。ただし、ただ頭で理解しただけでは何にもなりません。それを日々の実践に結び付けていくところに意味があるのであり、そうでないと、本当に学んだことにはならないというのです。それがすなわち修身とか修養とか言われるものにほかなりません。

では、なぜ「瀟洒の趣味」なのでしょうか。厳しく自分を律するのはいいのです。しかし、それだけになりますと、どうしても近寄りがたい印象を与えます。これでは人間として偏っているということでしょう。

現代の私どもには「瀟洒の趣味」のほうはあるかもしれませんが、自分を律する厳しさのほうは、とかく軽視されているように思われてなりません。これもまたバランスを欠いています。厳しく自分を律する姿勢があってこそ、初めて「瀟洒の趣味」も生きてくることを忘れてはなりません。

逃げ道は残しておく

「奸を鋤き倖を杜ぐは、他に一条の去路を放つを要す。若しこれをして一の容るる所なからしめば、譬えば鼠穴を塞ぐものの如し。一切の去路都て塞ぎ尽くせば、則ち一切の好物倶に咬み破られん」

 

「有害な人物を排除するにしても、逃げ道だけは残しておかなければならない。逃げ場まで奪ってしまうのは、ネズミの穴をふさいで退路を断つようなもの。それでは、大切なものまですべてかじり尽くされてしまう」

これもまた人間関係の機微について語った言葉です。なるほど、そういうことかもしれません。

『孫子』の兵法も、「囲師には必ず闕く(かく)」と語っています。こちらは兵法書ですから、敵との戦い方について語っているのですが、「敵を包囲したら、必ず逃げ道を開けておけ」というのです。なぜでしょうか。

敵の退路を断って完全包囲しますと、相手もむざむざ負けたくはありませんから、死を覚悟して反撃してくるかもしれません。そうなると、味方の損害も大きくなるし、下手をすると形勢逆転し、思わぬ敗北を喫することがなきにしもあらずです。こんなつまらないことはありません。

包囲するにしても、逃げ道くらいは開けておいて相手の逃げるに任せ、自然崩壊を待ったほうがよいというのです。いかにも中国流らしい柔軟な発想と言ってよいでしょう。

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