そもそも「箕輪家」は幻冬舎のカリスマ編集者・箕輪厚介さんが開いたお店で、創業時から常識にとらわれない展開が期待されているお店だった。その期待に勝るとも劣らない展開にファンが急増している。まさに令和の時代のラーメン店だ。
奇想天外な企画を次々と繰り出す「箕輪家」店主・丸山紘平さんとはどんな人なのか? ラーメン職人になるとは到底思えない、その独特な経歴に迫ってみた。
「もう一度ラーメン屋をやらないか?」
大学卒業後、兵庫で自衛隊に入隊した丸山さんは、知人に連れられ箕輪さんの講演を聞き、自分の知らない“楽しい世界”を知ることになる。ずっと厳しい環境で揉まれてきた丸山さんにとっては、箕輪さんの姿が輝いて見えたという。
2年間の任期を終え上京し、箕輪さんのオンラインサロン「箕輪編集室」に入り、「運転手募集」の投稿を見て飛び付き、応募の100人の中から見事選ばれた。
半年間箕輪さんの運転手・カバン持ちを務めた後、見聞を広めるためにクラウドファンディングで資金を集めてトゥクトゥクで日本一周をした。
その頃、箕輪さんから一度「ラーメン屋をやらないか」と誘いがあった。箕輪さんは昔から「まこと家」「武蔵家」など横浜家系ラーメンが好きで、自分でも店を開いてみたかったのだ。しかし、肝心の丸山さんは、当時は全くその気になれず断ったという。
「当時、自分はまだ26歳。その先の人生の道を決めたくなかったんです」
その後、コロナ禍のカンボジアにて飲食店の立ち上げを経験する。準備は順調に進み、無事お店を開くことができたが、丸山さんは大きなバイク事故に遭ってしまう。幸い命は取り留めたが、足を開放骨折する大怪我を負ってしまい、そのまま日本に帰国せざるを得なくなる。
ここで再び声をかけたのが箕輪さんだった。
「怪我をしていても湯切りぐらいはできるだろう。もう一度ラーメン屋をやらないか?」
箕輪さんの、2度目の提案を受け、丸山さんは人生をかけてラーメン屋をやろうと決意。ここから「箕輪家」のプロジェクトがスタートする。
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