世界最悪「有毒ガス事故」から日本が学ぶべき倫理 アメリカ企業がインドで起こした悲劇の根本

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事件後数年して、ある雑誌に載ったボパールの被害者のインタビューを紹介しよう。

事故当時、トゥンダ・ラルは、煉瓦職人として仕事があるときは1日1ドル50セントを稼いでいた。事故の後遺症で1日数時間しか立っていられない状態で、会社からの補償金を待ちながら、時々、町中で物乞いをして糊口を凌いでいた。そんな中、彼は取材のインタビューに語っている。

もし明日工場が再開されるなら、どんな仕事でも受けるよ。1分たりとも躊躇なんかしないね。工場で仕事がしたい。ガス爆発の前、ユニオン・カーバイドのプラントはボパール中で働くのに一番いいところだったからね。

「多国籍企業は忌々しいが必要」というジレンマ

ユニオン・カーバイド社に幾多の看過できない、許しがたい落ち度、欠陥、怠慢があるのは言うまでもないが、問題は、ボパールでその工場が最良の職場だった事実にある。

『つなわたりの倫理学 相対主義と普遍主義を超えて』(角川新書)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。

厳密に先進諸国と同じ基準、同じ待遇を求めるとすれば、たとえば同じ賃金を要求するならば、企業が第三世界に進出する「うま味」はない。ボパールの化学工場事故は未然に防げたが、「ボパールで働くのに一番いいところ」もできなかった。普遍主義は、自分の手を汚さない満足に終わる可能性がある。

化学工場は、ボパールの貧しいスラム街に隣接していた。もし化学工場が閉鎖されると──先進国であれば当然これは閉鎖されたにちがいない──ボパールが困る。当初、ユニオン・カーバイド社に対するインド政府の対応も、糾弾するというよりも歯切れの悪いものだった。それもこうした事情を反映しているのだろう。多国籍企業は忌々しいが必要、これが第三世界に共通するジレンマかもしれない。

一方、力ある先進社会の下請けとして貧しい社会を依存させ従属させる構造は、植民地主義にほかならない、とする批判もおきる。だからこそ、人権、労働者の待遇、周辺の環境に対して世界中どこにおいても同じ基準を求める普遍主義の主張も生じる。

ユニオン・カーバイド社の幾多の不備は、母国アメリカでは許容されない基準を、インドでは許容範囲として、会社が採用した。つまり二重基準に基づいている。社会に相対的な基準はていのよい搾取である。ここに相対主義の問題がある。

村松 聡 早稲田大学文学学術院文化構想学部教授

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むらまつ あきら / Akira Muramatsu

1958年、東京都生まれ。上智大学哲学科卒業、同大学院修了後、ドイツ・ミュンヘン大学留学。横浜市立大学国際総合科学部応用倫理学担当准教授を経て、現職。専門は近現代哲学、主に徳倫理に基づく倫理学、生命倫理などの応用倫理学。パーソン論、他者論、心身論についても研究を続けている。著書として、『ヒトはいつ人になるのか 生命倫理から人格へ』(日本評論社)、『教養としての生命倫理』(共編著、丸善出版)、『シリーズ生命倫理学2 生命倫理の基本概念』(共著、丸善出版)などがある。

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