サハリンに廃墟として残る戦前の日本製紙工場 豊富な資源を目当てに設立、現在もその姿を残す
天を仰ぐ煙突、摩耗した外壁。静謐な大地にどんと立ちはだかる巨大建築物。ここまでの広大な水平の土地に浮かぶ建物を初めて目にした。太平洋戦争前にサハリンの大地に日本が建設した夢の痕跡だ。
日本の領地拡大に興味を持ち、かつての樺太の地、サハリンにはいったいどんな遺構があるのか知りたくなった。
たった40年間の日本領
運よく州都のユジノサハリンスク直行便に搭乗できた。フライト時間は2時間10分程度。千歳からは1時間20分。日本から一番近いヨーロッパだ。2009年9月のことだった。
樺太はもともとアイヌをはじめ先住民族が住む土地で、その樺太の北緯50度より南、いわゆる南樺太が日本の領土になった時代があった。日露戦争終戦後の1905年から太平洋戦争が終わった1945年までの40年間だ。
樺太が日本の領土になると、多くの人が新天地を求めて次々と開拓の理想に燃えて活動していた。明治の終わりには約1万2000だった南樺太の人口は、1945年には40万人だったと言われている。
1945年8月9日に日ソ中立条約を一方的に無視してソ連軍が侵攻を開始し、わずか2週間あまりで樺太は占領された。樺太の地では、本当の戦争は8月以降に起きたのだ。
サハリンには製紙工場だけでなく、神社や建築物も数多く残っている。また韓国籍の方も多く存在している。樺太の開発において、多くの韓国人が、樺太に渡ったからだ。実際に今回の旅で、運転をしてくれた男性は在樺コリアンだった。
場所はロシアなのだが、日本の建築物があったり、韓国の方がキムチを販売していたりと、面白い土地だなぁと感じながら旅をしていた。
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