「自分でやりたいという思いが強すぎて、喜多方ラーメンの歴史を無視して作ってしまっていました。
ラーメンらしい雑味を生かしたスープや、チャーシューを煮込んだ醤油をタレに使うなど、喜多方ラーメンが本来持っている良さを生かせずにラーメンを作っていたんです」(江花さん)
お客が来ない日が続く「あじ庵食堂」に老舗の店主たちがアドバイスをくれた。
「ラーメン 一平」の大将・小枝利幸さんはチャーシューの作り方やスープの取り方を教えてくれた。
そして喜多方ラーメンの元祖といわれる「源来軒」の大将・星欽二さんはスープの煮込み時間や灰汁取り、チャーシューのタレの作り方など事細かに教えてくれたという。
「使っている食材は同じでも、まったく違うものができるんです。大将たちが声をかけてくれたことで、ここから喜多方ラーメンの仲間に入れてもらいました。私だけが若かったので、聞けば何でも教えてくれて、本当にありがたく思っています」(江花さん)
その後、味もしっかりと安定し、喜多方ラーメンとして認められ、人気が出てくるようになった。
イベントに出店するたび、喜多方ラーメンの衰退を感じ…
この頃から、全国でラーメンイベントが盛んに開かれるようになり、三大ご当地ラーメンとも言われる喜多方ラーメンも当然イベントから声がかかるようになってきた。
「あじ庵食堂」は「蔵のまち喜多方・老麺会」からOKをもらい、喜多方ラーメンの代表としてイベントに出るようになった。
張り切って出店したイベントだったが、ここで江花さんは喜多方ラーメンの衰退を感じるようになる。
「毎年出店するたび喜多方ラーメンの力が落ちてきていると感じたのです。都心では旨味を重ねた“足し算”のラーメンが隆盛を極める中、シンプルであっさりした喜多方ラーメンはウケないのです」(江花さん)
こうして江花さんは他県のラーメン店とも親交を重ねるようになり、徐々に視野を広げていく。喜多方ラーメンを再び元気にしていくために自ら動き出したのである。
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