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小田急線「成城」駅周辺、かつては神奈川県だった 東急の廃線「砧線」の謎から見えた意外な歴史

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  • 森川 天喜 旅行・鉄道作家、ジャーナリスト
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これはおそらく、地名の変遷によるものだろうと推測はつくが、『新修世田谷区史』であらためて調べてみると、興味深い事実を知ることができた。その概略は以下のとおりである。

成城学園前駅の近くにある世田谷区砧総合支所。砧線が走っていた場所とは大きく離れている(筆者撮影)
都立砧公園に隣接する区立大蔵運動公園の一画にはC57形蒸気機関車が保存されている(筆者撮影)

神奈川県だった三多摩地域

明治維新から間もない1869年、現在の世田谷区域の村々は、新設された品川県または長浜県(発足当初は彦根県)に編入された。長浜県に編入されたのは彦根藩の所領(飛び地)だった村である。

ただし、これは旧藩を温存した体制下での暫定的な措置であり、1871年7月に断行された廃藩置県とその直後に行われた府県統合の過程で品川県は廃止。長浜県所管の飛び地は東京府または神奈川県に引き渡されることになった。

こうして、この地域は東京府と神奈川県の境界に位置することになり、一部の村々は「一旦品川県が東京府に引継がれるかと思うとその一部が神奈川県に所属換になり、さらにそれが再び東京府に戻った」(『新修世田谷区史』)というように、どちらの府県に属するかで揺れ動くことになったが、後に砧線の沿線となる鎌田村などは神奈川県に属することになった。

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