小田急線「成城」駅周辺、かつては神奈川県だった 東急の廃線「砧線」の謎から見えた意外な歴史
ところで、「砧線跡」である花みず木通りには、歩道に埋め込まれたパネル画や、レール(レプリカ)を使用したガードレール、オブジェなど、さまざまなモニュメント的なものが設置されている。廃止から半世紀以上が経過した今もなお、地元の人々から愛されていることの証しであろう。
こうした地元愛が凝縮されたような「玉電と郷土の歴史館」(火・木・土・日のみ開館)には、ぜひ立ち寄ってほしい。花みず木通りの1本南側の中吉通りに面するビル1階にある同館は、地元で有名店だった「そば処大勝庵」が閉店した後、店主の大塚勝利さんによって、2012年に歴史館として再出発したもの。入り口付近に世田谷線で活躍したデハ71号車の運転台が移設されているほか、館内には所狭しと玉電ゆかりの品々が並ぶ。
今回、短い時間ではあったが、大塚さんから「砧線は地方鉄道線なので東横線や大井町線と同じ運賃体系だった。車内で国鉄への連絡切符も買えた」といったさまざまな話を聞くことができた。ここで仕入れた知識や、入手した大塚さん手作りの地図は、この後の砧線跡散歩に大いに役立った。
駅跡に残る東急社章の境界杭
花みず木通りに戻り、さらに歩を進めると、多摩堤通りと交差した先で野川を渡るが、川の手前に2つ目の停留所である吉沢駅があった。付近のクリニックの敷地と道路の境界には、駅跡を示す昔の東急の社章が刻まれた境界杭が2本、人知れず立っている。大塚さんによれば、かつては3本あったが、危険防止のためか1本が撤去されてしまったという。
その先、野川に架かる吉沢橋の歩道上には、橋を渡る砧線の電車の写真と共に、吉沢橋と砧線に関する説明文が掲載された案内が立っている。
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