日本電産トーソクの秘訣、ベトナムパワーを駆使
どん底からの起死回生 震災ねじ伏せ最高益更新
さまざまな製品が立ち上がり、ベトナムでの生産が絶頂を極めたところにリーマンショックが直撃した。工場労働者の8割以上は農村出身で、少しでもよい給料を求めて出稼ぎにやってくる。リーマン後の減産でトーソクも減産を強いられ、稼働率は一気に3割まで低下した。
「休日出勤や残業が減り、それにつれて給料も減ってしまうと、それを不服としてあっというまに退職していく」(村田薫社長)。当時2600人いた従業員が数カ月で1700人まで減少した。
しかし、減産のどん底で追い風が吹いた。エコカーブームを受け、完成車メーカーがCVT搭載車種を拡大したのだ。トーソク製のコントロールバルブも続々と新車種に採用された。一方、従来から進めてきたダイカストや支給部品の内製化に加え、コントロールバルブを設計から量産段階まで受注するなど、地道な原価低減活動が実を結ぶ。ダイカストや電磁弁の内製化を進めた結果、5割を下回っていた現地調達率は8割まで上昇し、大きな利益を生み出し始めた。
リーマンショックを乗り越えてみれば、10年早々から想定を上回る受注の回復や新機種の立ち上げ対応など、さまざまな新規案件がベトナムに押し寄せてきた。ところが、先述のように、モノづくりを支えていたベトナム人従業員の班長クラスがリーマンショック後にゴッソリ辞めたことで現場は大混乱に。その多くは94年の進出当時から働いており、現場の細かいことは何でも知っているエキスパートだった。
部品メーカーとしては、自社の部品不足で自動車メーカーの生産ラインを停止に追い込むことは絶対にあってはならない--。結局、船便で間に合わない製品については航空便を飛ばすことでギリギリの製品供給を続けた。「いくら運賃に払ったことか」と村田社長は振り返る。
それでも増産効果は大きく、10年度は第3四半期の時点で営業利益31億円と、それまでの過去最高だった03年度の営業利益30億円を9カ月間累計で上回った。第3四半期3カ月だけで見れば営業利益率15・1%は空前の水準だ。
そのまま突っ走るつもりが、3月に東日本大震災が直撃。その結果、目標としていた営業利益率15%には及ばず13・4%での着地となった。上場する輸送用機器メーカー77社の平均営業利益率(4・5%)をはるかに上回り、鉄道車両を生産する近畿車輌に次いで2位。自動車部品メーカーの中では断トツのレベルである。