台湾・民進党勝利の陰で逝去した民主革命家の人生 台湾民主化に命を懸けて闘った施明徳さんの人生
1995年、私は当時、民進党主席だった施明徳さんをインタビューした。今と違って当時は日本の政界やマスコミ、研究者の間で、民進党に対する関心はほとんどなかったと思う。
施明徳さんを紹介してくれたのは、私がお世話になっていた知り合いの元政治犯だった。この人も有名な台湾独立運動の1つ、廖文毅事件で投獄された陳さんという人だ。
施明徳さんの話の内容も興味深いものだったが、強く印象に残ったことがある。党主席として分刻みの忙しいスケジュールの中で、約束の開始予定時間から遅れてインタビューが始まった。忙しい人だから、筆者もできるだけ質問を簡単にして聞いていった。
革命家の厳しいまなざし
しばらくすると、「記者会見をやっているから来てほしい」と部下が主席室に入ってきた。ところが施明徳さんは「取材を受けているから邪魔をしないように」と言いつけた。記者会見がとっくに始まっていて、誰もが主席の登場を持っていたのだ。
その後もう一度部下が呼びに来たが、今度は「記者会見には出ない」と部下を追い出してしまった。
記者会見をすっぽかしてまで話を聞かせてもらって恐縮したものだが、施明徳さんはじっくりと話してくれた。この革命家には、話したいことがあふれているのだと感じた。笑顔をたたえながら、とてもフレンドリーな話しぶり。当初の約束通り1時間たっぷり話を聞かせてくれた。
ただ、時折見せる、にらみつけるような鋭い目つきにドキリとさせられることがあった。ああ、これが25年以上も牢獄にいた革命家の目なのだな、と思ったものだ。
このインタビューの内容は、私が当時発行していた雑誌『台湾通信』に掲載した。この記事を民進党が中国語に翻訳して印刷し、施明徳さんの主張を伝えるテキストとして使ってくれたと聞いた。彼の役に立てたことが、筆者としてとてもうれしかった。
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