要はバブルだと言いたいのかと言われそうだが、バブルであることは間違いがないが、商品化された投資対象はすべてバブルになっているから、上場個別株も上場して取引されている原油などの商品も資源もすべて同じことだ。
しかし、それらは価値がゼロではない。ドルですら、紙っぺらだが(最近は紙ではないドルが大半だが)、決済手段としての価値が一応ある。
一方、暗号資産は純粋にゼロだ。決済手段として使おうと思えば使える場面もあるが(実際に使われているのは違法な取引に関するものがほとんどで、だから価値があるという面もあるのだが)、普通は使わないから、完全にゼロと考えていいだろう。
だからこそ、トレーディングゲームのチップとして、手段として最も純粋に使い勝手が良いのだ。価値がゼロであるからこそ、バブルにおけるババ抜きゲームの手段として非常に価値が高い。だから、バブルになったときに最も上がるし、暴落するときはまさにゼロになることがありうる。
「バブルでない状態のビットコイン」をどう考えるか
しかし、今回の議論で重要なのは、バブルではない。バブルではない状態のときのビットコイン、暗号資産の話なのだ。
バブルとは買いが集まった結果である。バブル崩壊とは売りが殺到し、パニック売りとなった結果である。要は需給である。それは、ビットコインでも個別株でも変わらない。
違うのは、“普通の”ときだ。普通のとき、マーケット全体が静かなとき、個別株の価格はどうやって決まるか。
これも結局は需給なのだが(だって、経済学ではすべての財の価格は需給で決まる。決まらないと言い張っているのはファイナンス理論だけだ)、その需給の裏側にファンダメンタルズがあることになっている。
その企業の業績見通しがよいのに、株価が上がらなければ、それを見抜いた人が買って、上がる。ある企業のリスクが高まっているのに、皆が買ったままになっているとき、気づいた人が売って、下がる。価格は最後は需給で決まっているということがわかりにくくなっており、市場関係者や理論家は企業の業績見通しと株価は一体のような前提で話をすることになる。
くどいが、それでも結局は需給なのだ。見通しがよくなってもそれに人々が気づかず買わなければ上がらないし、機関投資家が有望でも時価総額が小さすぎて投資対象にならなければ買わないから上がらないし、世界から日本市場が無視されれば上がらない。今ごろ、世界の人々が日本食ブーム、観光ブームの流れの日本ブームで、そのついでに日本株に今さら気づいて買うと最後に上がる、ということだ。
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