超人気「オカルト系YouTube」数奇な誕生の背景 登録者数32万超「都市ボーイズ」が生まれるまで

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正直、岡山に帰りたいという気持ちがわくこともあった。

はやせさんは3人兄弟で、下に2人の弟がいた。2人共、「TVの仕事をします」と言って家を出たはやせさんに憧れて東京に出てきた。2人共、優秀ですぐに人気番組のスタッフや、カメラマンになったが、仕事が厳しいと岡山に帰ってしまった。

「なんか勝手に2人に夢を託される感じになっちゃって。『お兄ちゃんは東京でがんばって帰ってこないでね』って。僕もボロボロで帰りたい時期はあったんですけど、我慢して東京で踏ん張りました」

テレビ業界で、月に数万円は仕事をしていたが、環境は良くなかった。パニック症状は悪化し、体調も芳しくない。

彼女に「もう辞めて普通に働こうかな?」と相談した

「僕はテレビ業界で働くのは向いていないかもしれない」

と思うようになってきた。

「2015年くらいに、彼女に『もう辞めて普通に働こうかな?』と相談しました。すると『私はずっとあなたを応援してきたのにこんな所でやめてほしくない』って言われました」

(はやせさん提供)

数日後、彼女は携帯電話を見せてきた。画面には、オカルト番組の賞レースの企画が写っていた。

「あなたオカルト好きなんでしょ? だったらこの大会に参加して。それでもし勝ったら、一生オカルトを続けて。もし負けたら、今後の人生は私のためだけに生きて。今まで、私はあなたのために生きてきたんだから」

と彼女は言った。

「携帯電話に写っていたのは『オカルトスター誕生』という大会でした。彼女に言われるまま出場しまして、運良く優勝することができました。優勝の報告を受けたのは、2人でディズニーランドに遊びに行った日で、いつも通り彼女のお金で遊んでるにもかかわらず、『朝から歩き回って足が疲れたから、エレクトリカルパレードは見ずに帰りたい!!』って僕がわがまま言っているタイミングでした。優勝を知って、周りの目も気にせず、2人で大声上げて喜んだのを覚えています」

優勝した特典で「緊急検証!」という番組に出演することができた。昔から、はやせさんが憧れていた山口敏太郎さんに会うこともできた。番組出演をきっかけに、山口さんに誘われてタートルカンパニーに所属することになった。

「それでまた調子に乗ってしまいました。『優勝したし大丈夫だろう!!』って、彼女と結婚しました。なんと言っても優勝だし、食えるだろうって。でも、別に優勝したからと言って収入はさして増えませんでした。月4万円が月7万円になった程度でした。

タートルカンパニーは社員ではなく“オカルトに詳しいタレント”として所属していました。山口さんはすごく面倒見てくれたし、オーディションを振ってくれたりしたんですけど、なかなかメディアからお呼びはかからず。出演が少ないので、当然お金も入ってきませんでした。

その後、『稲川淳二の怪談ナイト』の2017年、2019年と優勝するんですけど、それでもまだ食えないんです。怪談やオカルトで飯を食うのってこんなに難しいんだって思い知りました」

相変わらず彼女は、朝から晩まで働いていた。その様子を見ていて、はやせさんは「俺みたいなヤツをなんで捨てないんだろう? ちゃんとした彼氏を見つけたら、生活もずっと楽になるのに」と思った。

「それまでずっと自己中心的だったんですけど、その時初めて彼女のことが気になって、『なんで俺を捨てないの?』って聞いてみたんです。そしたら彼女は、『絶対に当たる宝くじを、捨てるわけないでしょ?』って言い切ったんです。それを聞いて、絶対に俺はこの子を食べさせなきゃいけないって思いました。それでYouTubeをはじめることにしました。

実は前から岸本さんには『YouTubeはじめないか?』って誘われてたんですけど、僕が編集するの面倒くさいって渋ってたんです。それで改めてこちらから頭下げて、やらせてほしいってお願いしました」

2019年、YouTubeチャンネル「都市ボーイズ」を開始した。

最初はなかなかうまくいかなかった。収益化のハードルをなかなか超えることができなかったし、やっと超えても収益は1カ月に1万~2万円と微々たるものだった。

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