米中双方の行動論理の背景に潜む「思考のクセ」 「敗戦国の日本」はどのように振る舞うべきか
戦後アメリカを上司に戴き、ある時期一方的に高度成長を遂げてきた。アメリカという変電所と送電網の存在が、発展にとって有利な条件として働いたのは間違いない。だが、第2次大戦後、戦勝国と敗戦国との間で設定されたレジームを貫く送電網は、やがて米中を取り囲む名前を持たないルートへと編入された。
現在の日本は産業構造の転換とともに急速に衰退し、巨大工場跡地のうえに異様に存在感のあるパチンコ店やショッピングモールばかりの国になってしまった。
「この難問を君ならどうする?」
これら一連の盛衰は、日本の歴史的・地政的な偶有性と、日本が米中の中継を行ってきた固有性の間の葛藤の中で形成されてきたものでもある。
ただ1つ言えることがあるとすれば、日本は日本なりの葛藤を苦しんできたという事実である。
著者は次のような挑発的な言葉を綴っている。
「僕は政治の行き先を予想するときは、自分はその国の若手官僚であると想定して、もし上司から『この難問を君ならどうする?』と訊かれた場合にどんなレポートを書いて出すかを想像してみることにしています。僕自身の利害損得や好き嫌いは脇において、課題を出された当事者の気持ちになって考えてみる」(p.190)
少なくとも、固有の葛藤もまた、従来の工業化や産業化と異なる意味合いで、熱源として利用できるならば、多少楽観的な見方もできなくはない。それができないのなら、見えざる廃墟の上でひからびた日常に沈んでいく予測のほうがリアルだろう。
そこで話は初めに戻る。
この本は、特定の命題を論証しようと試みてはいない。著者自身もしばしば言うように、「誰も言いそうもないこと」を選択的に述べている。そこにはつねに挑発の臭いがするし、読者に考えるよう仕向けている。望みさえすれば、頭脳に深く差し込まれた「栓」を抜く作業を手伝ってくれる。
そこがこの本の効能だ。「想像力の栓」を抜いてくれる本だ。その観点からこの著者が今を生きる稀有な論者の1人であることは間違いない。少なくとも私はそう思う。そんな著者による全集や著作集の編まれる日が1日でも先延ばしされることを願わざるをえない。
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