竹歳さんは、大阪府・大阪市旭区に、歯科医師の父親と専業主婦の母親のもとに生まれました。
地元の小学校に通っているときの成績は普通だったそうですが、その中でも算数は9割程度の得点を取れる得意科目でした。
「地元の塾に週2回通って、勉強していた」彼は、小学4年生ごろになると中学受験を視野に入れ始め、受験用の問題集を塾で見てもらうようになります。
「進学塾でがっつり勉強をして受験をする、という感じではありませんでした。大阪の名門公立である北野高校を出ている父親の『私立よりも公立のほうがいい』という意向が大きいです。兄が通う大阪星光学院なら行かせてくれると言ったので受験したのですが、受からずに地元の公立中学校に進学しました」
旭東中学校に進学した竹歳さんは、父親含む周囲の大人から、その当時住んでいた第三学区の名門高校である大手前高等学校を目指して頑張るように言われていたそうです。
しかし、小学校から継続して、地元の塾に通い続けたものの、成績は真ん中あたりから上がらなかったそうです。
途中で大手前高等学校を断念した竹歳さんは、近畿大学付属高等学校や茨田(まった)高等学校などのラグビーに力を入れている高校への進学希望を面談で伝えていたそうですが、医師か歯科医になってほしかった父親に反対されて断念します。
最終的には、大手前高等学校と同じ学区の高校である大阪市立東高等学校(現: 大阪府立東高等学校)に進みました。
人生で大事な進路選択の3つの軸
彼は過去を振り返りながら、高校までの自身の将来の目標に関しては「医師」「技術者」「ラグビー」という3つの軸があったと語ります。
「今はなんともないのですが、小さい頃から健康診断のたびに心雑音で引っかかり、いろんな病院に行っていたんです。その際に行った吹田市の国立循環器病研究センターが、とにかく立派な建物の病院だったから、そこで働くのもいいなと憧れていたんですね。
あとは飛行機や自動車が好きだったので技術者になりたいとも思っていましたし、中学からラグビーを始めていたので、アフター5でもラグビーができる会社はないだろうかと考えていました。その3つの軸のどこかのルートに進めればいいなと考えていました」
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