「出産から5〜6カ月経ったある日、突然朝起きられなくなったんです。娘が号泣しているのに、抱っこができない。気分がふさいでしまう。相談したい友達は働いているし、専業主婦の友人はみな、育児を難なくこなしているように見える。母乳にこだわりたかったから心療内科には行きたくない。なぜ私だけ……と、3カ月ほど引きこもっていたとき、マドレボニータの前身である産後ボディケア教室の情報を得て、思いきって家の外に出たんです」
ボディケアで体を動かしたら、体が少し楽になった。同じ悩みを抱える大人の女性と、胸にしまった思いを口に出して話すことで、心が救われた。教室に通ううちに、復職準備に顔を輝かせる仲間の姿に心が動いた。そして「もし今自分が死んでも、誰にも迷惑がかからないほど社会から必要とされていない存在だ」と、自分を追いつめていたことにも気がついた。
産後女性のケアを仕事に
社会に貢献して他者から必要とされたい、自分で働くことで報酬を得たい。これは人としてごく根源的な欲求だ。産後に社会から切り離される状態を経験して、吉田さんは改めて自分の心の声を見つめることとなった。
自分が本当にやりたいことは何か。それは産後女性のケアに携わること。産後セルフケアインストラクターは個人事業主になるので、収入面での不安は否めないが、どうしてもトライしたい。夫自身も、将来の自分への投資として再就学を検討していた。専門学校卒の自分が大学に行くことで、子どもたちの勉強を自信を持ってみてやりたいという気持ちだった。それなら、うちは経済的な豊かさは決して求めず、それぞれが未来のために投資する生活でいいじゃないかと、2人で腹をくくった。
吉田さんはさっそくマドレボニータの養成講座に申し込んだ。母体や骨格、筋肉などの知識を座学で学び、実技指導の訓練を受けた。半年間の研修を経て2004年に認定インストラクターとなり、33歳で教室を開講。養成講座で学んだとおりに、税務署に屋号を届けて青色申告を申請し、ブログやニュースレターを駆使して、ネットと口コミで集客に励んだ。
ところが、インストラクターとして社会復帰の第一歩を踏み出したタイミングで、夫が次の子どもを望んできた。起業したばかりで、産前産後に教室を休むことになる。だが、吉田さん自身も「もう一度、産後をやり直したい」思いにかられて、起業翌年に子づくりを決断する。
「長女出産後にうつを経験したので、正直、2人目出産の躊躇もありました。でも、産後の心身のケアを指導する自分が産後に失敗したままでは、ダメだと感じたのです。次女を身ごもり、臨月近くまで働きましたが、妊婦クラス用のエクササイズが功を奏したのか、次女は超安産でした」
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