無印が過疎地のビルで「3フロア借り上げた」結果 無印良品はいかに「土着化」しているか(2)
さらに、「OPEN MUJI」ではさまざまなイベントを行う。イベントがないときは学習スペースなど自由に使うことができる。筆者が訪れた際は、ここで高齢者向けの健康体操をしていた。高齢者らは広い店舗のウォーキングにも参加する。ただゆっくり、店内を歩くだけである。
雪国では冬の間高齢者は外に出ることが減り、運動不足となる。その解消に少しでもなればと始めたものだ。このように、店舗を置く地域の状況にあわせて、責任者の裁量で地元に合わせた商いが「個店経営」だというわけだ。
こうした地域に根ざした「個店経営」を目指した結果、大方の予想を裏切り、直江津店の初年度売り上げは目標の1.4倍になった。世界の無印でも5番目に入る規模だ。過疎化の進む街の、この成功がきっかけとなり、2023年10月には新潟の無印は7店舗となった。
変わりゆく函館の「夜景」
北海道函館市は、日本3大夜景の観光地として知られ、かつては30万を超える人が住んでいた。ところが今では、北海道でも最も人口減少が大きい。2015年には26万6000人となり、2023年には24万7000人に落ち込む見込みだ。
夜景も変わった。函館山のふもとの旧市街地は活気を失い、明るさが薄れた。町の商業施設の中心は北に移った。人口減少にはさまざまな問題があるが、札幌市に比べると、若者の進学先や雇用が十分でなく、娯楽施設も少ない。
1つの解決策として、観光名所の五稜郭近くに若者向けの施設を作り、市と民間の共同事業が始まった。旧グルメシティ跡地に、再開発の大型ビルを建てた。この施設は「シエスタハコダテ」と名付けられる。
特別目的会社の函館本町開発が設立され、若手の社員が中心となり町おこしの活動が始まった。統括責任者となったのは、30そこそこの岡本啓吾だった。
しかし、併設の高層マンションは完売し成功したが、商業スペースは苦戦する。4階にあるGスクエアはさまざまなイベントや自習のできる若者の自遊空間となったが、問題は1階から3階の商業スペースのテナントを集めることだった。
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