「起業は自己実現、でも経営は修行」である理由 元起業家・起業家・私設図書館長が組織論を語る

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平川:それは難しいのよ。会社の目的は2つあって、1つは利益の最大化。公開していれば株主利益の最大化だし、公開していなければ経営者一族、社員の利益の最大化。これを目指さなかったら会社じゃないんですよ。

ところがもう1つあって、それは存続させることなんだよね。会社がこれから持続的に存続していけるかどうか。自己利益の最大化っていうのは瞬間風速で作ることができるんだけど、下手にやると会社の信用を失う。そうすると持続しなくなってしまう。自己利益はバランスシートに書かれるんだけど、信用ってどこにも書かれないのよ。形がないから書きようがない。でもその信用と自己利益のバランスを取りながら、どうやって持続させていくのかっていうのが会社経営なんですよ。

でもそれがなかなか難しい。昔の商人が「損して得取れ」とか言うじゃない。やっぱりすごいなと思うんだよね。ちょっと損しても、インビジブルアセット、見えない資産は増えてるんだっていう話なんだよ。この見えない資産が増えているのか減っているのかがわかるのが経営者じゃないかと思うんだよ。こういうのは口では言えるんだよ(笑)。現場入るとそんなこと考えられなくなっちゃう。

でも商売を駆動していくのはインビジブルアセット。信用があればバランスシート上の資産が減っても、長い目で見れば回復できるんだよ。いや、まあ少なくとも今までは「できた」と言えるかもしれない。これから先はちょっとわからない時代になっちゃったよね。

青木:先ほどの江戸時代の商人の話って、商店街の話と似ていて有限性を前提にしていると思うんです。有限性があるとある種の循環性が機能している世界だから「損して得取れ」が実感としてわかる気がするんですけど、グローバル化してしまった後は「損して得取れ」が実感としてわからないっていうのが問題だと思っていて。

「暖簾」という価値

平川:俺、MBAで教えていたときにその教え子のなかに会計士が結構いたのね。彼らに修士論文を書かせるのに、何人かの人には「暖簾」をテーマに出してたの。これは東アジア特有なんじゃないかな。少なくともヨーロッパにはないよね。「Since何年」とかって看板掲げているけど、時間的な「歴史」しかない。

ところが山崎豊子の『暖簾』っていう小説を読むと、船場の商人たちは金がなくなるとその「暖簾」を実際に銀行に持っていくとそれを銀行が預かって金を貸したんだよ。だから「暖簾」っていうのは、まさにインビジブルアセットを可視化したものなの。かつては文化として経営者だけじゃなくて銀行も社会全体の信用といったものが、実は社会を突き動かす一番大きな鍵だったことを共有してた。でもそれは合理主義的にはありえないから、どんどんなくなっていっちゃった。俺はそれを復活させたいんだけどね。

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