高専卒「筑波で仮面浪人→京大」彼の過酷な経験 挨拶の練習や、起きた後に掃除をさせられる

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水無月さんは銀行員の父親とテーマパーク勤務の母親のもと、千葉県船橋市に生まれました。小学校1年生の直前に我孫子市に引っ越してからは、中学校卒業まで同市で過ごすことになります。

「幼少期からすでに親のパソコンを触ってGoogle検索やYouTubeを見ていた」と語るように利発な子どもであった彼は、くもんとそろばんなどの習い事にも通わせてもらったこともあり、優秀な成績で公立の中学校に進学しました。

しかし、ここから生活習慣が乱れ始めたそうです。

「中学1年生になっても定期試験では8〜9割をキープしていました。でも、中学2年生になってから、朝3~4時まで『小説家になろう』というサイトとゲームを行き来する生活を送るようになっていました。その結果、授業でほとんど寝るという昼夜逆転の生活を送ってしまい、定期試験では7割を切るようになりましたし、9教科それぞれ5点満点の内申点の平均が3点を切るくらいになっていました」

テストの点数は下がったものの、得点率だけを見ると悲観するような成績ではないように思えます。ですが、千葉県の公立進学校に進むためには内申点がほかの受験者よりも平均より1点以上低いことが問題だったそうです。一般的な受験が厳しい状況で、彼に人生の転機をもたらしたのは、小学6年生から始めたTwitter(現・X)でした(注:当時Twitterには年齢に対する規約がありませんでした)。

高専入学後の寮でのつらい経験

「当時、僕は『太鼓の達人』というゲームにはまっていて、Twitterで知り合った人とゲームセンターで遊んでいたんです。そこで知り合った高専の人に、『確実に手に職をつけたいなら高専がいいよ』ってアドバイスをいただいたんです。それで調べてみるとその高専は学力が上位なら内申点が関係ないことを知り、オープンキャンパスに行って面白そうだと思ったこともあって受験することを決意しました」

中学校3年生になってからの彼は、東京進学ゼミナールに通いながら勉強に力を入れます。「この年はけっこう勉強した」と語るとおり、彼は高専と、内申点がいらない私立高校を受験し、首都圏の高専に加えて私立高校2つに合格しました。

「高専に行くことに迷いはなかったのですが、僕の出身地である我孫子から行く人がいないというのが心配でした」

最終的には高専の電気電子工学科に入学することを決め、家が遠いこともあり、高専の近くの寮に入ることにした水無月さん。しかし、この寮に入ったことが彼の生活に暗い影を落とします。

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