日本の「お金の教育」が子供に超悪影響な深いワケ 「投資される側になる」発想の欠如が国を傾ける
この20年ほど、アメリカでは情報技術への投資が盛んだった。GoogleなどのいわゆるGAFAがアメリカの株価を押し上げたのは紛れもない事実だ。
GAFAの先頭にあるG、Googleという検索エンジンを開発したのは、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンの2人。開発当時、彼らはまだスタンフォード大学の学生だった。
1990年代にインターネットが普及し始めたころ、インターネット上の検索エンジンの精度は低く、検索ワードと関連の少ないページが検索結果の上位に表示されることが多かった。
その不便さを解消しようと彼ら2人が立ち上がった。彼らの研究が評価されたことで、投資マネーが集まった。多くの人を雇うことができて、Google Mapなどのさまざまな製品を開発することに成功した。彼らのように、社会に存在する不便さや問題などの解決に取り組もうとする人がいるから、社会は暮らしやすくなっていく。
そして、世界の大富豪の上位は、そのほとんどがこの2人のような起業家たちだ。彼らは「投資する側」にいて、お金をもうけたのではない。自分たちで問題を解決しようとして、「投資される側」に回ったのだ。今でもスタンフォード大学では優秀な学生ほど起業家を目指すそうだ。
お金ではなく「若い時間」を投資する
私が先日上梓した経済教養小説『きみのお金は誰のため』では、投資銀行で働く七海が、投資への誤解を反省するシーンがある。
残念だが、現在の日本の投資教育を受けていると、「投資=お金を増やすこと」だとインプットされる。投資の実態を知らなければ、「投資される側」に回ろうとする発想も浮かばない。
働けなくなった高齢者が投資をしてお金を増やそうとするのはわかるが、問題を解決するために「投資してもらう側」になるべき若者に、アメリカ株への投資を教えることがいかに馬鹿げているかは明らかだろう。小説に書いたように、お金ではなく「若い時間」を投資することが重要なのだ。もちろんお金が余っているのなら、「投資する側」に回るのもいいだろう。しかし、「投資される側」の存在を教えていないのは危機的状況だ。
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