外国人が日本の「謝罪会見」を見て感じる不思議 日本人ならではのケジメの付け方なのか

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西暦712年に成立した『古事記』でも黄泉の国に行ったイザナギノミコトが川でみそぎをするシーンがあり、ここで有名なアマテラスやスサノオが誕生するというエピソードにつながりますね。神社にお参りする時に手水を取るのも簡易的なみそぎです。

ちなみに英語で「みそぎ」を説明するのはちょっと苦労します。「Ritual purification (お清め儀式)」というのが言葉通りの翻訳になるのかと思いますが、「Fresh start」、または「New start」という方が近いように思います。

例えばお正月の前日、大晦日には「大祓祭(おおはらいさい)」という儀式が全国の神社で行われます(ご存知ですよね?)。茅の輪をくぐったりして1年のケガレを祓って、フレッシュな状態で新年を迎えるための大切な儀式です。

「謝罪会見」は新たなスタート?

このようにリセットして新しいことを始める、再生する、というイメージがみそぎにはあります。ちなみにイザナギの命のように黄泉の国から帰ってくることから「よみがえり」という言葉が生まれたと言われていますね。

そう考えると、謝罪会見は英語のFresh Startのために必要な活動ということでしょうか。

ただ、この「みそぎ」という言葉は政治の世界などではあまりいい意味では使われていないようです。つまり、謝ったら許してもらえる、あるいは謝って許しを乞う姿を見てもらうことでそこからやり直しをすることが承認される、という狙いのような使い方です。

謝罪会見も「社会に対し謝罪する」という行為でみそぎを済ませられる、と考えられているのでしょうか。

ただ、ちょっと常識がある人ならわかると思いますが、実際に被害にあっている方がいる、あるいは法律違反をしているということを考えると、単純に謝って済む話ではない場合が大半のように思います。

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