家康の怒り沸騰「上杉方の直江状」その強烈な中身 日本史上有名な書状だが、一方で真偽は不明

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「景勝には謀反心などまったくありません。しかし讒言をする者を調べることなく、謀反心があると言われてはどうしようもありません。まずは、讒言をする者を調べるのが当然です。それをしないようでは、家康様に表裏があるのではないかと思われます」

「武具集積についてですが、田舎武士は鉄砲や弓矢の支度をするのがお国柄です」「道路や橋を作り、往来の煩いがないようにするのは、大名の務めとして当然のことでしょう」というのが、直江状の概要である。

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松が岬公園にある「上杉景勝 直江兼続」の像(写真:白熊 / PIXTA)

つまり、景勝に謀反の意志はなく、まずは讒言の真偽を究明し、謀反の疑いを晴らすことが重要だと主張しているのだ。上洛するのはその後だというのである。

直江状にはさまざまな見解がある

日本史上、有名な直江状であるが、原本はなく、写本が複数伝わっているにすぎない。

よって「後世の好事家の創作」「直江状と称する古文書までが偽作された」という「直江状偽作説」もあれば「内容も当時の事情と矛盾せず、偽文書ではない」という見解も存在する。

直江状の内容は信頼できるが、追而書(追伸)の部分は、後に補筆されたのではとの「折衷案」もあり、真贋論争は今も続いている。

しかし、一般的な中世の古文書と比べて、直江状の内容があまりにも読みやすいこと(中世文書を複数読解すればわかるが、その内容はとても抽象的で、用語も難解だ)などから、直江状は後世の創作である、と私は考えている。

家康はこの「直江状」に対して激怒、諸大名に上杉討伐を命じたという。直江状の真贋はさておき、家康としては、上杉討伐は不本意であっただろう。

前田家や細川家と同じように、討伐軍を派遣する前に、人質を出すなり、上洛するなりしてくれたら、余分な手間をかけずに済んだからだ。

その一方で、諸大名に軍事動員をかけ、上杉氏を討伐・屈服させることによって、徳川の勢威を天下に示すことができると考えていたかもしれない。どちらに転んでも、家康に利する展開であった。

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