ファナック、沈黙を破った超優良企業の素顔 稲葉善治社長が激白、「秘密主義じゃない」

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ファナックにとってターニングポイントは2013年10月だ。善治社長の父で、富士通の事業部門から独立し、世界的企業へ成長させた、稲葉清右衛門名誉会長(90)の「引退」だった。

本誌既報(13年12月21日号)のとおり、名誉会長は本社の要職を外れ、子会社の役員も退いた。一方、副社長3名も代表権を持つ体制に変え、名誉会長が二つの本部長を務めていた4本部長制を廃止するなど、まさに大異変だった。

父である清右衛門名誉会長の横に立つ善治社長(写真は、過去のファナックのホームページに掲載されていたもの)

──名誉会長が退いてから、経営体制や組織などが大きく変わっていった。

それは原点復帰しただけ。富士通時代のやり方に戻った。当時、名誉会長が開発部長と営業部長を兼務し、顧客を訪問して得た情報をその日の夜に開発部隊に伝えていた。非常に“ループ”が短く、シェアをどんどん拡大することができた。

ところが、ファナックは大きな組織になってしまい、部署間の連絡や指示系統が長くなった。このままでは、急激に変わるマーケットについていけないと判断し、(NC装置の)FA、ロボット、ロボマシンという三つの事業本部に分けて、分離していた開発部隊とセールスを一緒にした。

ワンマン方式に”限界”

今までやってきたワンマン方式だと、時代のスピードについていけない。各事業本部が責任を持つことで、意思決定を早めて、先頭を取れるようにしたい。変わったと見えるかもしれないが、名誉会長が成功させたビジネスモデルに戻しただけだ。

いなば・よしはる●1948年生まれ。73年東京工業大学工学部機械工学科卒業、いすゞ自動車入社。83年にファナックに入り、89年に取締役。常務、専務、副社長を経て2003年から現職。

──「ワンマンだった」ということは、名誉会長に権限が集中していた?

富士通時代からそうだったが、一人がカバーできる大きさではなくなった。今日も会ったが、今は本当に経営にタッチしていない。

──名誉会長から経営でどんなことを学んだのか。

もし、名誉会長が若い頃に戻ったら、やるであろうことですね。事業本部や統括本部体制とか。

──つまり、意思決定の早さということか。

そう。だから私は変化したとは全然思っていない。小さい頃からそういうふうに鍛えられてきたから。

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