望めば何でもAIが教えてくれるので、自分で勉強する気にならない。自分の能力が高まったように見えるが、本当はそうではなくて、AIが助けてくれただけのことなのだ。
知識が増えたのも所得が増えたのも、自分が努力したからではなく、AIが与えてくれたものに過ぎない。そうしたことがわかってくれば、結局のところ、自分は何なのだろうかという虚無感にとらわれる。
AIのおかげで、所得が上昇し、生活が豊かになった。しかしそれは自分の力で獲得したのではない。AIが与えてくれたものだ。では、自分が生きていることにどんな意味があるのだろうか?
ビッグブラザーの世界
生成AIによる政治介入は、目立つ形で行われるとは限らない。いつか知らないうちに、個人の生活がコントロールされる事態は十分に考えられる。
ジョージ・オーウェルが描いた未来社会におけるビッグブラザーは、その当時の技術水準ではとても実現できることではなかった。国民の全てを監視しようとすれば、膨大な人数の監視員が必要になってしまうからだ。
しかし、AIを用いれば、状況は大きく変わる。知らないうちに自分がコントロールされてしまうという危険は十分に考えられる。さまざまなことを解決してくれるので、ありがたいと思っているが、その結果として、コントロールされてしまうのだ。
どんな技術も、悪意ある使い方をすることによって危険なものとなる。AIもそうだ。情報の基に誤りや偏りがあれば、AIがそれを『もっともらしい情報』として増幅してしまう。そして、人々は、知らないうちにコントロールされる。
トルストイは、 小説『アンナ・カレーニナ』の冒頭で、「幸せな家庭はどれも同じように幸せだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸だ』と述べた。この法則はさまざまな場面で正しい。ジャレド・ダイアモンドは、『銃、病原菌、鉄』の中で、これを「アンナ・カレーニナの法則」と名付けた。
この法則は、生成AIがユートピアをもたらすか、ディストピアをもたらすかに関しても、当てはまる。
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