愛知発スーパーの「フルーツサンド」ヒットの裏側 小さなスーパーを受け継いだ3代目社長の奮闘
多くの批判を受け止めて、ようやく開店にこぎつけたが、店を開けてもお客さんは1人も来てくれない、という日が何日も続いた。
希望の光がまったく見えないなか、なんとかこの状況を打開しようと、東京のスタッフたちと毎日夜遅くまでのミーティングをする。
「近所の人への挨拶もふくめてフルーツサンドを配るのはどうだろう」「あまったフルーツサンドはお店がある中目黒の駅前で配ろうよ」
僕たちは思いつく、あらゆることをやってみることにした。何かが起きたとき、すぐ行動するのが僕の鉄則だ。
「まずは東京の人たちに、ダイワのフルーツサンドを知ってもらうことからはじめよう」
僕はポツリポツリと駅前を行き交う人に向けて、思いを込めて手紙を書き、それを添えてフルーツサンドを配ることにした。
しかし、世の中の人たちは新型コロナウイルスをおそれ、僕たちが手渡しで渡すものをなかなか受け取ってはくれなかった。
それでも、あきらめずにダイワのフルーツサンドを知ってもらうため、何日も配り続けた。
SNSで一気に注目が集まる
あまったフルーツサンドを駅前で配ることが、僕たちの日課となりつつあったオープン約1カ月後、SNSのある投稿をきっかけに、お客さんが急増することになる。
「美味すぎて泣いてる」
その投稿は拡散され、リツイートランキングで7日間連続で日本一になるほど注目を集めた。
これがキッカケとなり、東京進出第一号店の中目黒店にも連日、お客さんが来てくれるようになる。
その後も、各地で出店し、成功と失敗を繰り返しながらも、当初赤字3000万円だった会社は年商10倍にまでなった。
「こうき、あのフルーツサンドを日本中たくさんの人に届けてあげなさい。必ず幸せな人が増えるはずだから」
「与える人になりなさい。それが一番お前が幸せになる近道だ。がんばれ」
このじいちゃんの言葉を胸に、これからも仲間たちと楽しく商いをしていく。
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