子どもがちゃんと育っている証拠はどこを見る? 「手がかからない、いい子」ほど実は大変な理由

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何事もバランスですから、極端に見せすぎなければいいだけ。もし、中毒のようになってしまっているのなら、テレビよりも夢中になれる、心が揺さぶられるような体験を子どもに与えてあげる必要があるかもしれません。

スマホも同じです。触らせるときは触らせる、触っていないときは親子でたっぷりスキンシップを図る、とメリハリのある使い方をすればOK。どちらかというと、親が子どもの存在よりもスマホに夢中になっているケースのほうが、愛着形成の面では心配です。子どもの話は、スマホをいったん置いて、きちんと目を見て聞いてあげましょう。

人に迷惑をかけない子=いい子ではない

人に迷惑をかけないようにすることは、社会生活のもっとも基本的なことのひとつです。日本は「子どもの行動は親の責任」という認識が強いので、子を持つ親は、人に迷惑をかけないことを優先し、外出することそのものを控えることさえあります。

でも、人に迷惑をかけない子が、本当にいい子なのでしょうか?そして、迷惑をかけないように気を配るのは、自分自身が「迷惑をかけるような子を育てている親」だと思われたくない、という気持ちからではありませんか?

好奇心の塊である子どもは、大人の都合や常識などおかまいなしに、動き回るのがあたりまえの生き物です。彼らは、迷惑をかける・かけられるの経験をたくさん積むことで、生きる知恵や生きる力を学んでいきます。

「迷惑をかけない」ことを知識として教え込んでも、知識はしょせん知識。かけて初めて「迷惑とはどういうことなのか」に気づき、かけられたときの気持ちも味わったりしながら、処理の仕方を学んでいくのです。

だからといって、子どもが周囲に度を越した迷惑をかけるのを「そのままでいい」「何もしない」と開き直るのも違います。大人が代わりに「すみません」と素直に謝る姿も、子どもにとっての生きる学びにつながります。ちなみに私は、今現在も、人に迷惑をかけまくって生きている自信があります(笑)。「ほんま、ごめんなぁ」「ほんま、ありがと~」と、失敗して、迷惑をかけて、感謝して、その経験をいかしながら今日も生きています。

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