慶応野球部「新旧2人の監督」が起こした地殻変動 「エンジョイ・ベースボール」に30年の試行錯誤
結果的に次打者をセカンドゴロで打ち取り、同点で延長戦に入って6―3で試合を制した。
この守備シフトはベンチのサインでもあったが、野手がマウンドに集まったときに、「二塁ランナーが飛び出した時は三塁で刺す」とみんなで話し合い確認していたというのだ。
あらゆる場面を想定して、高校野球の常識を覆してでも自分たちの野球をする。こういった駆け引きを楽しむのが、エンジョイ・ベースボールの真骨頂だ。
慶応は、ベスト8にコマを進め一気に波に乗ることになる。広陵戦までは表情の硬かった選手に弾けるような笑顔が出てきたのも、この試合以降のことだ。
転機になった米国へのコーチ留学
ランナーが三塁にいても前進守備を敷かないスタイルは、実は前監督の上田誠氏から継承されたものだ。
上田氏は、慶応大学野球部に在籍していた私と同期だった。大学卒業後、私は野球をやめたが、彼は指導者の道を歩んで1991年から慶応高校の監督に就任した。もともと「エンジョイ・ベースボール」という言葉は、慶大野球部で監督を務めた故前田祐吉氏が唱えた言葉だ。上田氏がまったく新しい解釈を加えて、高校野球に落とし込んだ。
上田氏は就任早々、部内の上級生と下級生の上下関係を解消させた。自主性を重んじるうえで大切な、自由なコミュニケーションを疎外するからだ。
内外野の連係の練習でも、何度もストップさせて選手同士で話し合わせる。照明のないグラウンドでの全体練習は日暮れとともに終わるが、夜遅くまで選手たちは欠点を補う自主練習を繰り返していた。監督の前で帽子を脱いで直立不動で話しを聞く姿も、慶応にはない。
だが強豪がひしめく神奈川県で勝ち抜くのは至難の業だった。上田氏が監督に就任して7年間、神奈川県予選では4回戦が4回、5回戦が1回あるが、甲子園への壁は厚かった。
転機になったのが、1998年にアメリカ学生野球の名門、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)へのコーチ留学だ。
アメリカでは内外野のフォーメーションや栄養学などを座学で徹底的に教え込む。日本の野球ではライナーやゴロを打つことが求められるが、アメリカではいかに遠くへ打球を飛ばすかが重要だ。ピンチを乗り切るためのメンタルトレーニングもマニュアルが用意されるほどだ。
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