音大からIT企業の道を選んだハラミちゃんの胸中 追いかけ続けたピアニストの夢はいったん消えていた

✎ 1〜 ✎ 11 ✎ 12 ✎ 13 ✎ 14
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

両親は音楽家ではなく、共働きの会社員。どちらかと言えば、ピアニストになるより、安定した仕事に就いてほしいと考えていたらしい。一方、同居していた祖父は彫刻家、祖母は書道家で芸術に理解があり、父も「芸は身を助ける」という格言を大事にしていた。

そのため、娘がやりたいことならば、とグランドピアノを購入したり、上達する方法を考えてくれたり、最大限のサポートを惜しまなかった。

ハラミちゃんとお母さん
幼いころのハラミちゃん(右)と母。両親は音楽家ではなかったが、娘の夢を応援し、全力でサポートしてくれた(写真提供:harami_piano)

ストイックに練習する一方、ピアノで人を笑わせたい、喜んでもらいたい、という気持ちは小学生のころから強くあった。「自分でも謎なんですけれど、真面目にピアノを弾く前に、何か一芸をやらなければ気が済まないタイプで」、よく変顔や、ひょうきんなことをしながらピアノに向かっていた。憧れは、ピアノの弾き語りモノマネで知られるタレントの清水ミチコさん。

「学校で、アンパンマンやドラえもんのテーマ曲をマイナー調にアレンジして、悲しいバージョンとか、敵に負けそうなときバージョンで演奏すると、みんな面白そうに笑ってくれました。ピアノで人を喜ばせられるんだ、と分かって、うれしかったです」

夢はあっけなく絶たれた

高2のとき、第1志望の音大を受験するため、その道で有名な先生からレッスンを受けられることになった。だが、初めてのレッスンで1曲、聴いてもらったところ、その志望校は無理だと、あっさり言われてしまう。

続けざまに将来の夢を問われたが、タイミング的に、とても「ピアニスト」とは言えず、それまであまり考えたことがなかった、「音楽の先生」と、とっさに答えてしまった。

それを聞いた先生は、教員になるならこの大学、と進路を提示した。憧れの大学へ入り、ピアニストを目指す、という幼いころからの夢は、あっけなく絶たれてしまった。

「現実を突きつけられて、もちろんショックでしたし、十数年、積み上げてきたものがなくなっちゃう気がして、なかなか受け入れられませんでした。でも、いまさら音大以外へ行く道も考えられなくて」

結局、先生の厳しいレッスンを続け、勧められた通りの音大に合格した。

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事