アジカン後藤、40代は「ちゃんと枯れてていい」 『サーフ ブンガク カマクラ』完全版出した背景
── そもそも当時は、どういう思いでこの作品を完成させたのでしょうか?
後藤:08年は本当にたくさん曲を作っていて。3月に『ワールド ワールド ワールド』というアルバムを出して、そのアウトテイクみたいな感じで6月に『未だ見ぬ明日に』ってミニアルバムもリリースしました。普通のバンドだったら、そこでお腹いっぱいになると思うんです。
当時は、本当に作り込んで納得するまでセッションする、みたいなことをやっていたんですけど、その一方で思いついた時に「もうそれ最高じゃん」みたいな感じで音を出す楽しさもあって。そういうこともやっておかないと前に進めないなと感じて制作したのが、『サーフ ブンガク カマクラ』になります。
── 楽曲を「江ノ島電鉄」の駅名で構成したのは、どうしてですか?
後藤:『ワールド ワールド ワールド』と『未だ見ぬ明日に』は、歌詞の社会性が高まっていく時期の楽曲で、世界や社会の問題を視野の向こうに入れつつ作っていました。そうすると、どうしても1人称の歌詞が増えてしまって、もう少し作品自体を自分の体から離していかないと、ちょっとヘルシーじゃないなって感じがしたんですよね。
ザ・ビートルズの「シー・ラブズ・ユー」みたいな、彼女が出てくるだけで話がちょっと変化するみたいな。 そういう歌詞を書かないといけないなと思って、それで江ノ電沿いの風景を加えてみたら、物語が自然と自分の体から外に離れていったんです。
みずみずしさや、バンドの無骨さを表現できた(山田)
── なるほど。山田さんにとってはどんな作品なのでしょう?
山田:当時は楽曲制作にツアーなど、結構タイトなスケジュールだったので、記憶が断片的なところもあるんですが。この作品では、みずみずしさだったり、バンドの無骨さみたいなところを、表現できたという印象です。
今聴いても、そういうイメージですね、こういう作品を残せたことが、活動を続けていられる要因の1つになったんだと思います。また、当時はわからなかったのですが、この作品を好きでいてくれるファンの方たちがすごく多いんだなっていうことに、最近気づきました。
── 「完全版」を作るにあたってこだわったことは?
喜多:今回はきっちりと制作時間が取れたので、一発録りではなく、今のバンドのレコーディングの仕方で完成させたので、 やりたいところはやれたと思う。全体的に丸くなっちゃうとか、大人っぽくなっただけの音にするのは嫌だなっていう思いがあって、ここではエモさを残せたかなっていうのにすごく満足していて。
何よりやっぱ新曲5曲がね、すごくよい仕上がりになったので、早く多くの人に聴いてほしい作品になりました。特に(伊地知)潔は、鎌倉が地元なので、入ってない駅近辺に在住の友人も多いらしく。
伊地知:「俺の地元の曲を作ってくれないの?」みたいな話も来ました(笑)。