日本で広がる「小さな幸せブーム」に感じる違和感 「幸せの自己責任化」が起きてはいないか

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幸せになるためには、習慣を変えるだけでいい。「人に感謝する」「運動する」「前向きに考える(ポジティブ思考)」「十分な睡眠を取る」などの取り組みを日々続ければ、幸福度は上がっていく。そうアドバイスしている本やウェブ記事を目にした人は多いだろう。つまり、ここで述べられているのは、幸福を得るための知恵であり、それらの知恵を実践すれば、誰でも幸せになることができるというロジックである。

一見、無害そうな提案に思えるが、このロジックからこぼれ落ちているものに注意してほしい。人々によって異なる「環境」や「リソース」である。

「幸せの自己責任化」

仮に幸福度が究極的にはコントロール可能なもので、心がけ次第でどうにかなるのであれば、幸福度の低さは結局のところ本人のせいになる。技術的に難しくない自己改善に勤しまない「怠惰」な人々だから不幸なのだ、と。これは本人の幸福と社会の間に何ら因果関係がないという考えを強化する。

心理学者のエドガー・カバナスと社会学者のエヴァ・イルーズは、人生で最も大切なのは「幸福」の追求とするイデオロギーが浸透しつつある現状を解き明かした『ハッピークラシー 「幸せ」願望に支配される日常』高里ひろ訳、みすず書房)で、「科学的妥当性」「社会的影響」「心理的影響」「道徳的影響」の4つの観点から重大な懸念があると主張した。

そこでも問題にされたのは、「幸せの科学」が自己責任化を助長する側面であった。これは「社会的影響」と「道徳的影響」にまたがるかなり厄介なものである。以下、該当部分を引用する。

ここで注目すべきは、幸せへの科学的アプローチとその周辺に拡大した幸せ産業が、裕福か貧困か、成功するか失敗するか、健康か病気かは自己責任だという仮説の正当化に大きく貢献しているという事実だ。さらには、構造的な問題はなく、あるのは精神的な力不足だとする考えにも正統性を与えている。
幸せの科学は、苦しむか幸せになるかは個人的な選択だと主張する。逆境を個人的成長の機会として利用しない人間は、その個人の事情に関係なく、不運を望んでいるのではないか、自業自得ではないかと思われる。結局、われわれはたいした選択肢は与えられない。幸せの科学はわれわれに幸せになることを強いるだけでなく、もっと幸せで成功した人生を送らないのをわれわれの責任にする。

まさに、前述した「環境」や「リソース」は本質的な因子ではなく、「心がけ次第」で幸せになれるというメッセージが、「幸せの自己責任化」に加担してしまう事態を指摘している。「各個人が、みずからの人生の選択と目的や幸せの意識について完全に責任をもたされると、落ち込むことも幸せになれないことも、それは個人の不満の原因だとみなされたり、意志の欠如や精神の機能不全のしるし、または失敗した人生の証として経験されたりするようになる」(同上)のだ。

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