「人一倍勉強しなさい」指示され育った少年の悲劇 中学生になっても平然と「携帯を監視」した親
眠っている母親を刃物で刺して殺害後、娘はツイッターに「モンスターを倒した。これで一安心だ」と書き込んでいました。その後、遺体をバラバラにして河川敷に遺棄。ここまでする異様さはメディアで大きな注目を浴び、教育虐待についても話題になりました。
極端ではありますが、教育虐待が子どもを重大な犯罪にまで追い詰めた例です。
劣等感を子どもに補償させようとする親
なぜ、こんなに追い詰めるほど過度な期待・要求を子どもに押し付けるのでしょうか。
裏に見え隠れするのは、親自身の劣等感、コンプレックスです。滋賀医科大学生母親殺害事件でも、母親は工業高校卒で学歴にコンプレックスがあったと言われています。自身のコンプレックスを埋め合わせるため、子どもに過度な期待をし、それに応えなければ罰を与えているのです。
トモヤの父親も同じです。大学に行けなかったことで生まれた劣等感を子どもに投影し、「勉強しなさい」とプレッシャーを与えていました。勉強して、いい大学に入り、いい会社に就職することが大事だという価値観に囚われているのです。その価値観にもとづき、命令するのは子どものためだと信じ込んでいるので、トモヤからのSOSにも気づきません。
トモヤの場合は、結果的に大学受験もうまくいき、その段階では問題が表出しませんでした。うまくいかなかったら、爆発もあったかもしれません。トモヤは両親を攻撃しなかったものの、敵意を持っていました。そういう心の状態が、非行への扉を開いたと考えることができるでしょう。
過度な期待、要求を押し付ければ、必ずどこかにほころびが出ます。応えることができないからです。子どもは一生懸命取り繕おうとするかもしれません。うまくいっているように見せるかもしれません。しかし、それにも限界があります。
非行少年との面接の中では、「親の期待に沿えませんでした」という話をよく聞きました。過度な期待を背負って苦しみ、非行へと走ってもなお「期待に沿えない自分」を責めて苦しんでいるのです。
そんな少年たちには、期待に応えたいという気持ちは立派だが、応えられなくたって別にいいんだよと伝えます。
はっきり言って、親の期待に沿って生きる必要はありません。親は子どもに期待をするものだし、子どもは期待に応えたいと思う。それはいいのですが、期待に応えないと拒否されるというのはおかしいのです。その子自身の人生が肯定されなくてはいけません。
なお、勉強に関する過度な期待へのSOSとしてよく見られるのは、テストを隠す、点数を改ざんする、成績がよかったと噓をつくなどです。こういった行動があれば、頭ごなしに叱りつけるのではなく、理由に目を向ける必要があります。過度な期待を押し付けていないか振り返ること、本人の話を聞くことが必要です。
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