前向きな弘子さんは方針転換をして、同世代の友人知人からの「紹介」に的を絞った。「結婚をあきらめたわけではない。いい人がいたらぜひ紹介してほしい」と公言したのだ。
8年前のパーティーで主催者の仕事仲間が異業種の修さんをあえて招いたのは、弘子さんに引き合わせる意図もあったのかもしれない。求めよさらば与えられん、の実例である。
前妻は、弘子さんとは正反対のタイプ
弘子さんと修さんは半年間同棲をした後、結婚を決めた。弘子さんは「すごい安らぎ」を覚えた。
「もうひとりきりでがんばらなくていいんだな、と感じたのです。スポーツマンで男らしい主人は、私の友だちの子どもたちをキャンプに連れて行ってあげたりもしてくれる。みんなから『どうして離婚したんだろう?』と不思議がられています。前の奥さんに対しては、『こんなに素敵な男性を手放しちゃってお気の毒に』としか思いようがないですね。
この幸せがあるならば、多少のことは気になりません。主人はトイレの電気をつけっぱなしにするのですが、私が後から消せばいいだけのこと。洋服はダサかったけれど、ファッションにこだわりはない人なので私が好きなように変えられます。私たち晩婚さんは知恵があるので、たいていことはお互いに譲り合ってうまくやることができます。」
修さんのほうは、年齢に加えて、前妻との破たんした結婚生活で得た「知恵」が弘子さんへの感謝につながっている。
「主人の一方的な意見ですが、前の奥さんは経済的に夫に依存しているくせにケチで見栄っ張りな女性でした。子どもの健康よりも自分のプライドやお金を優先するところが、頑ななほど真っ直ぐな性格の主人には許せず、離婚する10年ほど前から家庭内別居状態だったそうです。専業主婦の彼女が悪役になってくれるからこそ、キャリア中心で生きてきた私が引き立ちます」
修さんが10年近くも家庭内別居を続けたのは、長女が両親の離婚を嫌がり、体裁を気にする前妻も話し合いに応じなかったからだ。最後は、裁判所による調停で離婚が成立したが、激怒した前妻は子どもたちと修さんが面会することすら拒み続けてきたという。修さんはそれでも高額の養育費を払い続けてきた。
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