【独占手記】私が山上徹也との面会を決めた理由 公判をめぐって、おかしなことが起きている
事件後、テレビで見る徹也の顔は、死んだ彼の父親つまり私の弟にそっくりである。その昔、6畳の古びたアパートでシングルマザーだった母と私、弟の3人で暮らしていたときのことを思い出す。弟は京都大学工学部に入学し、学者の道を志した。その夢は紆余曲折があって潰えるのだが、徹也もまた、父親と同じ大学に進学したいと志していた節がある。
夢は叶わず、徹也は今、拘置所で時を過ごしている。それもまた天命であろう。
本人に確認したい
私はこの間、徹也の受刑や出所した場合の環境作りに専念しており、その見通しが立つまで本人と面会するつもりはなかった。公判はセレモニー(儀式)であり、法曹3者(裁判官、検察官、弁護士)に委ねておけば足りると考えていたからである。
ところが昨今、拘留されていて漏れてはならない徹也の言動がマスコミを通じて報道されている。その内容も、到底、徹也の意思によるものではないと思われるものが散見される。なぜ、こんなおかしなことが起きるのか。
例えば、6月12日に予定されていた徹也の第1回公判前整理手続き。奈良地裁に届いた不審な段ボール箱に金属反応があり爆発物処理班が出動する騒ぎとなって中止になったが、そもそも、なぜ徹也が同手続きに出席することになっていたのか。
公判前整理手続きに被告が出頭しなければならない義務はない。プロに任せておくべき同手続きに、あえて素人である徹也を出頭させたのは世間の耳目を集めるためではなかったか。徹也を同手続きに出席させたところで公判の開始時期を遅らせるだけである。
徹也が拘置所内で訴訟法を勉強しているという報道にも私は疑問を覚えている。法学部を出たわけでもない徹也が、なぜ訴訟法を勉強するのか。訴訟法を勉強せよと指示したのは誰なのか。
公判前整理手続きに出席をしようとしたのは本人の意向だったのか。訴訟法を勉強しているのは自分の意志によるものなのか。
こうしたことを徹也本人に確認したいため、私は徹也と面会することを決意した。面会内容は追って、東洋経済オンラインで報告するつもりである。
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