ネパール大地震は政情不安に繋がるリスク やっと安定化し始めた矢先に災害が襲った

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4月26日、ネパールで発生したM7.9の地震で、警察当局によると、死者数は1910人に達した。今後さらに増加する恐れがある。中部バクタプルで撮影(2015年 ロイター/Navesh Chitrakar)

ネパールで発生した大地震と言えば、1934年にマグニチュード8.1規模とされる「ビハール・ネパール地震」が発生している。インドとともに死傷者数は約1万人と推定されているが、当時のネパールは鎖国を行っていたため、はっきりとした死傷者数はわからないままだ。インドでは当時の独立指導者ガンジーが被災地を見舞った記録が残っている。

1988年8月にはインドとの国境でマグニチュード6.6の地震が発生。ほかにも隣接するインドやパキスタンでは大きな地震が相次ぐ多発地帯とも言える。1991年にはインド北部でマグニチュード7.0で死者2000人、2001年にはインド・パキスタン国境で同8.0で2万人の死者を出した。また、2005年にはパキスタン側のカシミール地方でマグニチュード7.7の大地震が発生、インド、パキスタン両国で死者が8万人超という被害が発生した。

ネパールは1990年代後半から、国内のマオイスト(毛沢東主義者)など反政府勢力との対立で政情不安が絶えなかった。2006年に政府と彼らとの包括的和平合意が成立、国連の協力の下に制憲議会選挙が2008年に実施され、マオイストが第1党になった。同年、それまでの王制が廃止され連邦民主共和制への移行が決定されたものの、期限内に憲法制定に失敗し制憲議会は解散するはめに。

2013年に再度制憲議会を開くための選挙が実施され、第1党となったコングレス党(NC、ネパール会議派)のスシル・コイララ首相と第2党となったネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(CPN-UML)のヤダブ大統領を選出されて連立内閣が発足。現在は新憲法制定に向けた協議が行われているところだった。

早期の復興にハードル

長い政治混乱から抜け出したネパール。だが、完全に安定を迎えているわけではなく、さらに電力不足というインフラもいまだ整備されていない。国力も1人当たりGDPは703ドル(2013年)と最貧国レベルだ。地震後には深刻な食料・水不足も発生しており、いち早い復興が可能かは予断を許さない状況だ。前述のように空港などインフラの未整備で、今後の国際的な援助活動にも支障を来しそうだ。コイララ政権にとって、難問中の難問が発生したことになるが、その政治運営次第では再び政治状況の悪化も招きそうだ。

福田 恵介 東洋経済 解説部コラムニスト

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ふくだ けいすけ / Keisuke Fukuda

1968年長崎県生まれ。神戸市外国語大学外国語学部ロシア学科卒。毎日新聞記者を経て、1992年東洋経済新報社入社。1999年から1年間、韓国・延世大学留学。著書に『図解 金正日と北朝鮮問題』(東洋経済新報社)、訳書に『金正恩の「決断」を読み解く』(彩流社)、『朝鮮半島のいちばん長い日』『サムスン電子』『サムスンCEO』『李健煕(イ・ゴンヒ)―サムスンの孤独な帝王』『アン・チョルス 経営の原則』(すべて、東洋経済新報社)など。

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