校務におけるICTの活用が進まない理由
GIGAスクール構想によって、公立の小・中学校に高速通信ネットワークと児童生徒1人に1台の端末とが整備され、授業や学習においてICTを日常的に活用する学校が増えてきた。だが、校務といわれる先生たちの事務作業にICTを活用して効率化を図っていこうという動きは思ったほど進んでいない。
校務の多くが紙ベース、職員室にある端末でしか処理ができない、教育委員会ごとに利用しているシステムが異なり人事異動のたびに一から使い方を覚えなくてはならない……など、いまだ課題が山積しているからだ。
校務においてもICTをうまく活用することができれば、教員の長時間労働を解消し、学校の働き方改革をもっと進められる。学習系や校務系など各種データを連携させれば教育の高度化、教育施策の効率化にもつながるとして、2021年から文部科学省の専門家会議でも議論されてきた。今年3月には「GIGAスクール構想の下での校務DXについて〜教職員の働きやすさと教育活動の一層の高度化を目指して〜」で今後の校務DXの方向性が示され、各教育委員会に広く周知されることになっている。
1999年から校務の情報化に取り組んできた愛知県春日井市
だが、「校務の情報化」という言葉がない1999年から校務の情報化に取り組んできた自治体がある。名古屋市の北東に位置するベッドタウン、愛知県春日井市だ。当時はインターネットの草創期で、既存のビジネスモデルを覆すようなサービスが生まれるなど、IT関連企業が大きく成長した時期である。
春日井市には、いったいどのような問題意識があったのだろうか。今に至るまで春日井市で長く校務の情報化に携わってきた春日井市教育委員会 教育研究所 教育DX推進専門官で市立高森台中学校の前校長・水谷年孝氏は振り返る。
「授業でインターネットを利用するための整備が始まりかけていた時期でした。ただ、ICTが便利で使えるものだということを先生たちが理解していなければ、授業では絶対に使わない。そのため、企業でやっていることを学校でもやることができれば便利になるから、まずやってみてはどうかと言われたのです」
春日井市の隣にある小牧市からのアドバイスだった。小牧市は、98年から校内のネットワーク整備を計画していた。そこで春日井市でも、まずは校内ネットワークを整備し、校務の情報化による業務改善から着手しようと、翌年に向けて計画を作ることになったという。
「最初は、いろいろな情報を共有することから始めました。メールを使って学校間で連絡を取ったり、校長や教頭など役職ごとにメーリングリストをつくったりしました。ほかにも校内の情報共有として電子掲示板の利用や、それまで各学校で工夫してつくっていた成績処理、保健統計、進路指導などの処理システムの市内統一化を進めました」
取り組んだのは、学校内の情報共有、学校間の情報共有、校務支援システムの市内統一化の大きく3つだ。実際の運用は99年10月からスタートしたが、すぐにその効果を実感することになった。
「電子掲示板を利用すればいちいちみんなが集まらなくてもいい。当時、私の学校は60人以上の教員がいましたから、集まるだけでも大変だったので、本当に情報共有がしやすくなりました。学校間でいちいち電話で連絡していたのも、メールで簡単に連絡が取れるようになった。また、校務支援システムを市内で統一したことによって、転勤で学校が変わっても、人に聞かずに校務処理ができるようになりました。ファイルサーバーのフォルダ構造も同じにしたので、どこに情報があるのかもすぐわかる。導入して1、2年近くで、みんなが便利になったという感覚が持てるようになりましたね」
GIGAスクール構想に伴ってクラウドでの情報共有に徐々に移行
その後、2006年からは普通教室に実物投影機や電子黒板を設置しはじめ、09年にはほとんどの教室で整備を完了。11年に日常的なICTの活用、14年に1人1台の端末活用を市内のモデル校で始めるなど、段階的にICT環境を整備していった。
GIGAスクール構想による児童生徒の「1人1台端末」体制をスタートさせたのは20年9月。それに先んじて、4月から教職員向けに「Google Classroom」のアカウント設定を開始しようとした矢先、新型コロナウイルスの感染拡大により一斉休校になってしまった。
だが、一斉休校で教員同士が離れ離れになっている状況下でGoogle Classroomを使い始めた。教員間で情報をやり取りしたいけれど、校内でも居場所が異なったり、在宅勤務をしたりしていたからだ。Google Classroomならば、一堂に集まらなくても基本的な情報はやり取りできるし、書類作成などに関してもゼロベースでみんなが確認しながら修正できる。Googleドライブで教材や授業動画を共有したり、Google Meetで朝の会をやってみたりもして、これらがクラウドの便利さを実感するいい機会になったという。
そこで情報共有も、学籍や成績などの機微情報を除いて、校務支援システムからクラウド上での共有に徐々に移行していった。
「クラウド利用に対しては、情報セキュリティーの観点から懸念もありました。しかし、これも24年前の発想と一緒です。新しいものには、誰でも不安を感じる。だからまずはクラウドで情報を共有してみて、皆さんにその便利さを実感してもらおうと徐々に始めることになったのです」
春日井市では、ここ1年でほとんどの学校が日常的な情報共有をGoogle Chatで行うようになった。それまでは職員会議の提案資料なども校務支援システムを使っていたが、これもほとんどがGoogle Classroomで共有されるようになった。
では、こうした校務の情報化によって、先生の働き方は実際どのように変化していったのだろうか。
「24年前に校務の情報化に取り組んだときも負担は軽減されたと思いますが、その後仕事量は増えていきました。ですが今は、一堂に集まって打ち合わせをするのは週1回10分程度。月1回の職員会議も15分くらいで終わります。事務連絡はほとんど口頭ではしません。結果として教員の仕事量の2~3割は軽減されたと考えています」
実際、春日井市が22年に行った調査では市内54校のうち32校が、校務負担が2~3割軽減されたと回答している。4割が2校、5割が3校、5割以上と回答した学校も3校あった。
ほかにも、保護者会の出欠やアンケートも取りやすくなったという。学年便りや生徒指導、給食の献立など生徒への配布物もすべてクラウド化しており、紙はほぼ使っていない。保護者に関しても生徒とは別に配信システムがあり、配布物はすべてPDFで保護者のスマホやパソコンに配信されるようになっている。
クラウド活用によるメリットを最大限享受しているようにも見えるが、現状に課題はあるのだろうか。
「機微情報など一部で校務支援システムを利用しているため、教職員はGoogle Classroomと2つを確認しなければなりません。そこが面倒なところで、できる限り入り口を1つにしていきたいと考えています。最終的にはすべてクラウド化する方向に向かうと思いますが、今はその過渡期にあります」
大人が仕事をする感覚で子どもたちもICTを使うことができる
教職員が日常的にICTを活用することを先行させてきた春日井市だが、児童生徒の「1人1台端末」の活用状況はどうなっているのか。一斉休校の時から、先生たちがICTやクラウドの便利さを実感していたため、授業での活用もスムーズだったという。
「市内に54校(小学校38校、中学校16校)あって活用には差がありますが、全国的に見てもよく頑張っているほうだと思います。大人が仕事をする感覚で子どもたちもICTを使うことができるとわかり、授業のあり方も変わってきていると感じています。これまで先生が板書して児童生徒に情報を渡していたものが、教科書や資料集、動画(主にNHK for School)の3つを使いながら、まず児童生徒は自分たちで情報を集めて、その情報を基に意見交換します。そして最後にスライドで発表したり、レポートを作ったりする。そんな授業に大きく変わってきました」
こうした子どもたちの授業中の動きを、つねに先生が把握できるというのもクラウドがあればこそ。これまではノートを集めなければわからなかったものが、今ならリアルタイムで子どもたちの進捗状況がわかる。だからこそ、「子どもたちに任せておいたほうがいい」という思いが先生たちの間に広がっているという。
「先生がゼロから100まですべて伝えなくてもいい。先生の役割が、ファシリテーターに変わってきていると思います。生徒にも個人差があるので、もちろんうまくいっていないときは指導しますが、今は全体ではなく個別に指導する方向に変わってきています。グループで勉強を進めると同時に、子ども同士でも情報を共有できるので、互いに教え合うこともでき、個別最適な学びも協働的な学びも同時に起こる複線型の授業になってきました。先進的な私立校だけでなく、普通の公立校でも十分に実践できることなんです」
これまでは先生が教える一斉授業がスタンダードだったから、「子どもたちの力を信じて任せる」といっても、できるはずがないと言う先生も多くいることだろう。だが春日井市では、GIGAスクール構想がスタートしてからの3年間で学び方や調べ方の指導もしてきた。子どもたちが自分で学べるように素地をつくってきたわけだ。
読み書きの点においても、これまでは書かない子がたくさんいたが、キーボード入力になってからは文章を書く子が多くなり、アウトプットの量も質も高まっている。テストでも、わからないからとすぐに諦めていた子が、考えて一生懸命書くようになった。「こうすると文章が書ける、自分の言いたいことを表現できる」ということを端末を使ってわかっているので、自分で考えて書くというハードルが低くなっているという。
このように校務の情報化をいち早く推進してきた春日井市。現在までに教員と児童生徒の両方がICTを活用するメリットを享受しつつあるといえるが、将来的にどのような方向に進んでいくのだろうか。
「これは24年前から同じ考えで、校務の負担を減らして授業のことを考える時間を増やす、あるいは子どもと接する時間を増やすという方向性に変わりはありません。さらに今はいろいろなデータがクラウドで集まり始めているので、このデータをうまく可視化していく。これからはデータを活用しながら指導に役立てたり、子どもたちの異変のサインを感じ取れたりすることができればいいと考えています」
(文・國貞文隆、編集部 細川めぐみ、写真:すべて水谷氏提供)