アシアナ航空、相次ぐ事故に"韓国病"の影 韓国第2のエアラインに何が起きているのか
1988年に第2の航空事業の運営主体に選定された背景には、当時の韓国政府が大財閥への事業集中を嫌っており、現代やサムスングループのような大財閥を排除し、中堅財閥に任せたい意図もあったという。そのため、陸運で実績のある錦湖に白羽の矢が立った。
事業選定を受け、錦湖グループは「ソウル航空」を設立。後に「アシアナ航空」へと社名を変更する。「アシアナ」とは、ラテン語で「アジアの」という意味だ。新会社の人材は大韓航空や外国航空会社から引き抜き、特にパイロットは主に韓国空軍から招き入れた。
大韓航空に追いつけ追い越せ
設立当初は機内サービスに力を入れ、「大韓航空よりいい」と言われることを目指した。設立前後には全日本空輸(ANA)と業務提携を結び、ANAの就航便にアシアナ航空の客室乗務員が乗務していたこともある。
お役所体質がしみ付いている大韓航空に比べ、民間企業らしくサービスに優れるというのが、韓国国内におけるアシアナ航空の一般的なイメージだった。空軍出身のパイロットが操縦しているため、「運転は荒いが腕はいい。落ちることはない」という評価も受けていたことがある。
2004年には、知名度が高まったアシアナ航空の名を加える形で、グループ名を錦湖アシアナに変更した。そんな錦湖グループに暗雲が立ち込め始めたのは、2000年代後半に立て続けに仕掛けたM&Aがきっかけだった。
2006年には、大宇(デウ)建設の買収契約を締結。さらに2008年には、ライバルの大韓航空の傘下にあった大韓通運を買収した。これは、M&Aによる規模拡大でさらなる成長を図ろうとした、当時の朴三求(パク・サムグ)会長の方針だった。
ところが、2008年にリーマンショックが発生し、不況の波が建設業にも押し寄せる。さらに、大型買収を重ねたことにより、同グループの財務負担も増大。経営危機に陥った。
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