日テレ「スッキリ」10年出演した私に見えていた事 ワイドショーの問題と番組が直面した3つの死闘
これは先の台本問題とも関わる。「スッキリ」(「スッキリ!!」)では、差別的な発言や卑猥な発言はご法度であり、これは放送うんぬん以前の話だ。しかし、それ以外であれば、台本の通りに話してくれと言われたことは一度もない。また、「これは話さないでくれ」と言われたことも一度もない。さらに打ち合わせもきわめて簡易的で話題を確認するだけだ。
コメントを任せられる人をコメンテーターとして選定していたともいえるが、番組の責任者やスタッフにとっては大変な覚悟だったと思う。コメントを事前チェックしたほうが制作側としてはラクだっただろうが、生放送では困難な道を選んだ。
たとえば凶悪犯罪が減少している事実がある。しかしゼロではない。だから殺人事件は起きる。悲惨な事件ほど番組は取り上げる。いかにも殺人事件が急増している気になる。ただし統計上は減っている事実をまずとらえたうえで、個別事件のセンセーショナルさと、全体を混同しないほうがいいのではないか。こういった冷静な意見を言える場でよかったと思う。
以上3点が、私の思うワイドショーの問題と同番組の死闘だった。
「スッキリ!!」の思い出
なお私は「スッキリ」終了後も違う番組には継続して出演する予定だ。ただ、さすがに10年も続いたので、それなりの想いがある。この原稿は私の自分語りの場ではない。しかし1つだけ思い出を述べる。
加藤浩次さんとの思い出――かというと、それも無数にあり紹介したいところだが――そうではない。番組名が「スッキリ!!」だったころの話だ。番組スタッフ、といっても番組責任者と私は会話していた。
そのときに何のニュースについて会話をしていたか、実はほとんど覚えていない。ただ私は、「このような一方的な取り上げ方は問題があるのではないか。番組放送中に問題を指摘していいか」と質問した。番組側からすれば面倒くさい演者にすぎない。しかし、その番組責任者は私に「その発言で『日本がよくなる』と信じるのであれば発言してください。受け止めます。私たちは日本をよくするために番組を作っているので」と言われた。
私は番組中に問題点を指摘したが、なんらお咎めはなく、その後も番組に出続けた。しかし、「日本がよくなるため」という発言が印象に残った。
これはくだらないエピソードだと言われるかもしれない。また国家主義的な発言だと誤解する人もいるかもしれない。青い発言だとか、その正義が報道を狂わせるといった意見もあるだろう。
ただ私はその発言を聞いた。そして、なぜか感銘に近い印象を抱いた。それは事実だ。
軽いバラエティと思われるかもしれない番組でも、そのような志に支えられていた。これだけを紹介して、私なりの「スッキリ」史を終えたい。同番組の死闘の試みが、実際に“死”せず誰かの心に残ることを願って。
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